みづきの末期直腸がん(大腸がん)からの復活の記録

 国内最高峰の癌専門病院で治療を受けても僅か1年と告げられた命が、抗癌剤や放射線治療などをせずに2年半の延命ができた。そのリアルなストーリーとして闘病中に綴った全ての記録をここに公開します。
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はじめに

それは私にとっては突然降って沸いた、信じがたいがまぎれもない事実だった。その名も直腸がん。当時アメリカ・カリフォルニアに住んでいた私は、2005年夏ぐらいから便通異常を感じており、9月に一時帰国した際日本(聖路加病院)で受けた便検査で潜血異常があったものの、忙しいのを理由に大腸内視鏡検査を後回しにしていた。しかし年末になり日常生活にも支障をきたすぐらいの状況になってきたため、とうとう大腸内視鏡検査を受けたのだった。そしてその場でガンと宣告された。

それにしても、ガンの宣告ってもっと重々しい状況でされるのではなかったっけ?薄暗い部屋でレントゲン写真なんかを見ながら、これがガンですね・・・みたいな。だからあまりにも軽く言われたので、自分としてもガンというよりは「ポリープがありますね」ぐらいに言われた感じだった。その場では。しかし家に帰って冷静になってくると、ひしひしと自分がガンであるという事実に恐怖を感じた。そしてなんで私が?と、この悲しい運命を恨んだ。しかも私は35歳という若さである。とくに若い人の進行は早いというからとにかく焦った。その夜は夫と一緒に泣いた。久しぶりに大泣きした。

詳しい日々の状況は別途日々の日記に書くことにして、とりあえずここではこのブログを書く意味というか意義を説明しておきたい。ちなみにこの記事の日付は時系列の関係上2005年7月にしてあるが、実際にこれを書いているのは2006年4月2日である。上述のとおり自覚症状的なものが出始めていたのが2005年の夏ぐらいからだったので、読む人が分かりやすいようにそのころにさかのぼって記録をつけていこうと思う。ガンを宣告されたのが1月17日だから、すでに3ヶ月ぐらいが経過しているが、その間手術を受けたり、抗がん剤治療を受けたりで、とてもブログなど書いている余裕はなかった。ようやくこうしてパソコンに向かえる時間が出てきたのだから前進と言えようか。

正直言って、いわゆる闘病記的なブログを書くつもりはなかった。ネットでいろいろなブログを参考にさせてもらったので、できれば私もそのように少しでも貢献したいという気持ちはあったのだが、とにかく余裕がなかった。ではなぜ書くことにしたのか。それは父からの1通の手紙がきっかけだった。父とは仲が悪いわけではなかったが、子供のころからそんなにじっくりと会話を交わすこともなく、むしろ関係は親子というより友達のような感じだった。私のことに興味関心を示すこともあまりなかった。そんな父が突然私に手紙を書いてきたのである。びっくりしたと同時にものすごくうれしかった。そしてその手紙の中に「おまえの生き様を、命をかけてブログに書いたらどうか。そうすればいつでもおまえの様子が分かるし」と提案が書かれていたのだった。

この父の一言がきっかけで私はブログを書くことを決めた。そしてせっかく書くからには、少しでも同じ病気で苦しんでいる人の役に立ちたいと思う。よって、基本的にはこのブログは私の日々の様子を家族や友人に伝えること、そして自分の記録としての役割が主ではあるが、単に今日は何をした、ああした、こうした、というような自己満足的な日記にはせず、主にガンにまつわる話題及び私の体調報告を書いていこうと思うので、その点をご了承願いたい。私もそうだったが、闘病の日々の様子を読むことは、同じ病気で闘っている人にかなり役に立つと思う。

最後に、このブログのタイトルを「闘病記」ではなく「復活の記録」にしたのは、私はガンで死ぬつもりはないからである。あくまでもガンを克服し、完全復活するまでの成功ストーリーの記録と思っているので、このようなタイトルにした。また内容的には、友人には恥ずかしくて言えないようなことも正直に書いてある。直腸ガンということで、とにかく便や肛門の話ばかりが出てくるが、それもご容赦願いたい。男性の友達に読まれるのは恥ずかしいが、もうここまできたらそんなことも言ってはいられない。こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際なのだから。

それでは、このブログを読みながら、私の復活を見守ってください。今は自分のことで精一杯で、みんなに会ったりする余裕はまったくないけど、もう少ししたら会って話せるときも来ると思うので、それまで待っててね!

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●ブログ月別インデックス
2005年08月 (自覚症状現る)
2005年09月 (初めての痔)
2005年12月 (大腸内視鏡検査を受けるまで)
2006年01月 (ガン宣告と突然の帰国)
2006年02月 (手術。そして最悪な結果へ)
2006年03月 (自然療法の選択と抗がん剤投与)
2006年04月 (本格的な自然療法と免疫細胞療法開始)
2006年05月 (痛みとの闘い)
2006年06月 (一進一退)
2006年07月 (見出せぬ解決の糸口)
2006年08月 (初めての緩和ケア)
2006年09月 (麻薬使用開始)
2006年10月 (腸閉塞を起こし手術)
2006年11月 (ストーマ(人工肛門)生活開始)
2006年12月 (障害者手帳の申請)
2007年01月 (障害者4級に認定。コーヒー浣腸再開で宿便が出始める)
2007年02月 (痛みとの闘いの日々と相次ぐモルヒネの増量)
2007年03月 (痛みとの闘いの一方で検査結果に良い兆しが見え始める)
2007年04月 (モルヒネ増量にようやくストップがかかる)
2007年05月 (薬の量を減らすことに注力)
2007年06月 (内蔵機能が強いことが唯一の救い)
2007年07月 (CT検査の結果が悪く精神的に落ち込む日々)
2007年08月 (気功リンパマッサージに通い始める)
2007年09月 (胸水が溜まり始め、生姜湿布と里芋パスタによるお手当てを開始)
2007年10月 (胸水減らず、息苦しさを感じるようになる。利尿剤服用)
2007年11月 (2度目の腸閉塞で1ヶ月間入院。一時はどん底の淵へ)
2007年12月 (胸水減ったが、薬を使用しないと腸が動かなくなる)
2008年01月 (マッサージ師の「出口は見えた」の言葉を信じ痛みに耐える日々)
2008年02月 (腸閉塞の疑いで再入院、肺と肝臓の転移見つかる)
2008年03月 (腎機能の悪化でステント挿入及び腎ろう造設。一時死にかけた)
2008年04月 (腎機能の改善及び腸閉塞の解消をめざしての入院生活)
2008年05月 (歩行訓練を中心としたリハビリ生活開始)
2008年06月 (脳転移が発覚そして昏睡)
2008年07月 (昏睡状態からの復活。脱水状態との闘い)
2008年08月
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