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食養生シリーズ①-ママが悪いのではないよ、だから気にしないで-

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鶴見隆史著「新・食物養生法」という本を今日ようやく読み終えた。なかなか読み応えのある本であった。そしてこの本が、私に再び食事療法及び食事の重要性に関して考える機会を与えてくれた。ブログを書き始める前、自分の考えをまとめようとしたところ、書きたいことが山のように出てきたので、恐らく今日1日では書ききれないと思う。いや、書き終えようとしたら夜が明けてしまうので、シリーズと称して何回かに分けて書くことにした。一応全3回ぐらいの予定だが、場合によってはシリーズが追加されていくかもしれない。

とりあえずシリーズ1回目の今日のサブタイトルは「ママが悪いのではないよ、気にしないで」となった。なぜなら、この本について母と会話を交わした以降、どうも自分のせいで娘をガンにしてしまったのではと気にしているようだからである。母との会話の内容は、一言で言えば、今まで私がしてきた食事内容は決して良い内容ではなかったということである。当然これを聞いて母は落ち込んだ。それはそうだ。30年近く一生懸命作ってきた自分の食事のせいだと言われたようなものだからだ。

もちろん、答えはNOである。母のせいではない。しかし「あまり良い食事内容でなかった」というのも事実である。なぜなら我が家は朝食はパン食で、全体的に洋食系の食事が多かったからだ。現在の食事内容・・・玄米に味噌汁、漬物、納豆、梅干、豆類、海藻類・・・というものはほとんど食べていなかった。ただし、これはあくまでもマクロビオティックの見地からするとあまり良くなかったというだけの話であり、現代栄養学の見地からすれば恐らく満点に近いすばらしい食事内容であったと思う。母は一生懸命栄養のことを考えて作ってくれた。手抜き料理をする母親が増えている中、母は惣菜など買ってくることは一切なく、すべて手料理であったし、私は高校、大学ですら母の手作り弁当を持っていってみんなに羨ましがられていたものだった。

食事だけではない。飲み物に至ってもかなり健康に気遣ってくれていた。今考えればありがたいことなのだが、小さい頃はちょっとそれが窮屈なときもあった。というのも、一切我が家にはコーラとかソーダのような炭酸系清涼飲料水というものは置いてなくて、基本は麦茶などのお茶で、ジュースといえば100%のポンジュースぐらい、あとはせいぜいカルピスぐらいだった。だから、友達の家でたまにコーラとか出してもらうと、ものすごくうれしかったのを思い出す。

そうそうさらに思い出した。それは体操着である。洗剤にも注意していたため、いわゆる漂白剤入りの洗濯用洗剤というのは使っていなかったので、私の体操着はいつも少し黄ばんでいた。それが小さい頃はものすごく恥ずかしくていやだった。みんなは真っ白なきれいな体操着なのに、私だけいつも少し黄ばんでいて貧乏臭く見える。ちゃんと洗濯して清潔にしているのに、なぜ私のだけみんなみたいに白くないのだろうかと、小さいながらに不満に思っていた。

このように、母は健康に無頓着どころか、ものすごく気遣っていろいろとやってくれていたのである。だから決して母が悪いのではない。

よって私が思うのは「情報の重要性」である。当時はマクロビオティックなんて知らなかったし、砂糖や肉や牛乳が悪いものだなんて思いもしなかった。つまり情報がなかったから知らなかったのである。でももし当時に玄米菜食のことを知っていたら、果たして同じような食事内容であったであろうか?私はNOであると思う。完全に肉や牛乳ゼロとまではいかなかったかもしれないが、少なくとも量はかなり減ったはずだ。

今の時代情報戦と言われていて、まさに「情報を制するものが世界を制す」とまで言われているが、私もそうだと思う。この食事に関しては情報戦というほどのものではないが、とにかく情報は多ければ多いほど良い。そしてその中から自分に合った、かつ納得のいくものを選べばよい。知っていて選ばなかったのと、知らなかったから選べなかったのとでは、意味がまったく違う。情報は多ければ多いほどいいなんて書くと、情報が多すぎてかえって混乱するという反論の声が聞こえてきそうだが、それでも私はやはり多いほうがいいと思う。要は、多すぎる情報に惑わされず本質を見抜く目を養うことだ。そしてたくさんの情報に触れていると、おのずと共通点が見えてきて、案外本質の数はさほど多くないということに気がつくのである。実際、私がそうであった。これについては次回に書くことにしよう。

最後にもう一度言うが、とにかく母は自分のせいで私がガンになったなどと気にしないで欲しい。今は玄米菜食がいいと信じてやっているが、もしかしたら後日新しい説が出てきて、玄米菜食を完全に否定される日が来るかもしれない。そしたらそのときに玄米菜食を勧めた主人を私は恨むのであろうか?もちろんNOである。その時代に、その人のためにベストだと思ってやったことであれば、結果どうであれかまわないと思う。ただ結果が悪くならないようにするには、できる限りリサーチに時間を割き、多くの情報を持つことである。そして一度選んだからにはとことんそれを信じて実施することである。

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著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!