西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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初めて痔を経験

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2005年9月に友人の結婚式に出席するため、日本に一時帰国した。さらに主人のいとこの結婚式にも出席するため九州・宮崎へ行った。九州へ行ったついでにと、鹿児島旅行をしていたときだった。そのころあたりからだんだん肛門痛を感じるようになっていたのだが、9月23日には我慢できないぐらいの痛みを感じ、薬局で痔用の軟膏を買って塗ってみた。生まれて初めて自分の肛門を触った。自分としてはものすごい屈辱だった。しかし、その薬が効いたのか、とにかく痛みは2日で消えた。よってそのときは痔になったのだと思っていた。

アメリカでは保険に入ってなかったので、なかなか医者へ行くことができず、東京へ戻って早速9月28日聖路加病院の内科外来へ行った。医者は私の症状を聞いて、とりあえず血液検査と便検査をするよう言った。そして便を軟らかくする薬を処方した。私はそのときは自分の便が硬いとは思っていなかったので、便を軟らかくするだと!?何馬鹿なこと言ってるんだ、そんなの飲んでどうするんだ!?と思い、薬局にも行かなかった。1週間後、聖路加に検査結果を聞きに行った。血液検査は問題ないが、便に潜血異常が見られたと言われた。私が「それって健康な人でも潜血があることがありますよね?」と聞くと、「はあ、まあ・・」となんとも頼りない返事が返ってき、「まあ若いので大腸がんではないとは思いますけど、医者としては教科書的に言えば、便に潜血があった以上、大腸内視鏡検査を受けたほうがいいとしか言いようがないんですよ」と言われた。自分の責任で内視鏡検査を先延ばしにしたのだから別にこの医者を恨むわけではないが、もしあのときこの医者が便に潜血があったことをもっと重大なことと諭してくれていたら、あと半年私のガン発見が早くなっていたかもしれない・・・。

とにかくアメリカに戻る日が迫っていたので、日本で内視鏡を受けている時間はなく、医者に「じゃあなんであなたは病院に来たんですか?」と叱責されたが、自分としてはまさかさらなる検査が必要になるとは思っておらず、むしろ「何も異常ないですよ」という言葉をもらって安心するために病院へ行ったので、困惑してしまった。そして10月中旬アメリカに戻った。

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(22) 大腸内視鏡を受けるまでの症状
(24) 待ちに待った検査結果
(25) 手術、そして最悪な結果へ
(26) 余命1年の宣告
(29) バリアフリーの必要性を痛感
(30) 食事開始、一般病棟へ

著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!