西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
総アクセス数:24,715,026

ベッド (べっど)

手術前の各種検査

とにかく手術前はいろいろな検査が必要だ。私の場合直腸ガンということもあって、直腸の近くには子宮や膀胱やとにかくいろいろな臓器が至近距離にあるため、そっちへ浸潤していないかを見ておいたほうがいいということで、通常の検査にプラスして婦人科検診もやることになった。婦人科検診は痛かった。またもや大泣き。直腸MRというのは楽だった。よくTVとかでも見るやつで、大きな検査機器の中にずずーっと入っていくやつだ。自分はただ台の上で寝ていればいい。しかし、まさか検査前に痛い注射を打たれるとは思っていなかったので、それがショックだった。 検査の中での最大の難関は大腸内視鏡であった。1月17日の記事に、いかにアメリ [… 続きを読む]

初めて救急車に乗った

ガンを宣告されたその日に帰国を決断、3日で荷物をまとめて日本に帰る準備を整えた。前々から帰ることが分かっていたのではなく、普通に生活していた人がある日突然3日後に帰りなさい、と言われたようなものである。引越しの手配、車の処分、賃貸契約及び公共料金その他もろもろの解約など、目が回る忙しさだったが、それでもけっこうなんとかなるものだなと思った。大腸内視鏡で全部出すものは出してあったおかげで、私の体調もこの3日間だけはさほど悪くはなかったので、本当に助かった。それにしても、今回は長くアメリカに住むつもりで高級家具をそろえたので、それをすべて無料であげてしまうのはなんとも悲しかったが、もうムービングセ [… 続きを読む]

大腸内視鏡検査、そしてガンの宣告

2006年1月17日大腸内視鏡検査を受けた。話では、内視鏡自体はほとんど苦痛はなく、むしろその前に飲む下剤のほうがつらいと聞いていたので、安心して受けたが、実際はとんでもない苦痛であった!検査中あまりの痛さに私は泣き叫び、なんと3人の看護婦に押さえつけられたのである!!もちろん下剤もつらかった。アメリカの場合、日本と違い、自宅でジュースを飲みながら下剤を飲むのだが、もうまずいのなんのって、今でもあのときのホワイトグレープジュースを見るだけで吐き気がしてくる。恐らくもう二度とホワイトグレープジュースは飲めないであろう。 それにしてもアメリカは動きが速い。私が内視鏡検査終了後、瀕死の状態でベッドに [… 続きを読む]

大腸内視鏡を受けるまでの症状

日本に一時帰国していたとき、ある友人からオーガニック野菜生活の話をとくとくと聞かされ、夫婦ともどもすっかり感化され、アメリカに戻ってすぐにオーガニック野菜生活にした。それまでは、必ず夕食のメインは肉か魚を出していたが、それからは野菜中心のメニューになり、肉も魚も食べない日が続くようになった。すると1週間もしたらなんだか体調がよくなってきて、便通も改善された。これですっかり気を良くしてしまい、あとで思えばこれがまた検査を遅らせる要因ともなったのだが、とにかくこのときは食べ物でこんなにも体調が変わるものだと実感した。 しばらく調子が良い日が続いていたが、1ヶ月も経たないうちにまた便通が悪くなってき [… 続きを読む]

余命1年の宣告

手術当日のことはあまり覚えてない。家族ともあまり話さず終わってしまった気がする。夜、とにかく口が渇いて、水が飲めないから、何度も水を含んだ脱脂綿で口を濡らしたことだけ覚えている。ばっちり痛み止めをしているから痛みはあまりなかったように思う。こうして翌日を迎えた。翌日から早速身体を動かすように言われ、まずはベッドに身体を起こすことから始める。身体を動かすのは、合併症を防ぐためだ。看護婦さんに支えられてようやく身体を起こすことはできた。次に立つように言われたが、ふらふらしてどうしてもその日は立つことはできなかった。 午後、主人がお見舞いに来てくれた。そして手術の結果はもう聞いたかと聞いてきたので、 [… 続きを読む]

バリアフリーの必要性を痛感

手術後2日目、ようやく立ち上がることができた。足を少しずつずらしながらなんとか前へ進む。その遅さといったら、亀どころではない。足をずずーっと前へ10㎝ぐらいずらすのに30秒ぐらいかかるのだ。だからほんの数メートル歩くのに、何十分もかかる。それでも歩かないよりはいいということで、何十分もかけて身体を動かした。家族が一緒に付き添ってくれたが、恐らく普通の人からすると、とても歩いているとは思えないであろう。ほとんどただそこに立っているのと変わらないのだから。でも本人にとっては、ものすごい痛みと闘いながら、ものすごくがんばって歩いているのだ。私はとにかく痛みに弱いので、痛み止めを何度も追加注入してもら [… 続きを読む]

神経性頻尿

点滴もはずされ、すごく身軽になった。点滴をしていると、いちいちベッドを離れるときにバッテリーのコンセントをはずさないといけないし、ベッドの反対側へ行くことができないし、点滴の針が刺さっているところを気にしながら寝ないといけないしで、やっぱり不便だった。身軽になったことで、気持ちも明るくなった。 しかし、一つ困ったことが起こった。1時間おきぐらいに尿意で目が覚めトイレに行くので、夜ほとんど寝られなかった。でもそれは点滴をしているからしょうがないことだと思っていた。だから点滴がはずされたらぐっすり眠れるだろうとものすごく期待していたのだ。なのに!!点滴をはずしたにもかかわらず、同じように1時間起き [… 続きを読む]

下手に痛いなどと言うべからず

いやはや今日はまじでひどい目に遭った。先生が回診で手術跡やお腹を触りながら「痛いですか?」と聞くので、正直に「痛いです」と答えた。そしたら「感染症かもしれないな、傷口を開けて見てみよう」と言い出したのだ。それを聞いて私は叫んだ。「え?傷口を開ける?ここでですか?」「そうだよ」「え、ちょっと待ってください。もしかしたらあまり痛くないのかも」「でも君、感染症だったら大変なことになるよ」 私は恐怖心で身体ががくがく、顔はこわばり、大泣きした。「先生、待って下さい、待ってください!!!!!」そう泣きながら言うのが精一杯だった。だって傷口を開けるって、すごいことじゃないの????こんなベッドの上で麻酔も [… 続きを読む]

退院したくない!

同室のお姉さんが明日退院することになった。同時にお姉さんを通じて知り合った別の病室のお姉さんHさん(彼女は3年前に卵巣ガンを患い、今回は再発により入院)も明日退院するとのこと。彼女たちのおかげで笑いの絶えない入院生活を送れたので、すごく寂しい。彼女たちの退院当日は、笑顔でさよならするつもりだったが、つい泣いてしまった。でもおかげさまで彼女たちとは退院後も情報交換をするなど、今でも親交が続いている。 彼女たちより私の方が3日遅れて手術をしているのに、先生が彼女たちに続いて明日退院してもいいと言ってきた。普通なら喜ぶべきところを、私はものすごくブルーになってしまった。退院したくない!そう思ってしま [… 続きを読む]

サイモントン療法ー死生観ー

今日はサイモントン療法の日。いつものように主人と母の3人で行った。しかし、行くまでが大変だった。出かける直前に便が出てしまい、痛くて痛くて、キャンセルしようと思ったほどだった。外出直前の5分間でおしりを急遽湯たんぽで温め、なんとか出かけることができたが、築地の駅ではあまりの痛さに涙が出てきた。ただピークは過ぎてくれたようで、その後も痛いのは痛かったが、治療に支障が出るほどではなく、帰りはあえて銀座で降り、歩いて家へ帰れるぐらい元気になった。でもやっぱり家に着いてから緊張がほぐれたのか、またまた痛くなり、ロキソを飲んで痛みを抑えるしかなかった・・・。 今日のサイモントン療法は死生観についてであっ [… 続きを読む]

とうとう抗ガン剤投与開始!

本日から2泊3日で聖路加に入院、抗ガン剤投与が始まった。私の抗ガン剤は、5FU+ロイコボリン+イリノテカンのいわゆるFOLFIRIと呼ばれているやつだ。前にも書いたように、ようやく治療が始められる!といううれしさ反面、これからどんな副作用で苦しむのか!?という恐怖もあり、タイトルに「とうとう」とついていることからも分かるように、私の気持ち的には後者の方が若干勝っていた。朝10時に入院、すぐに採血をし、午後から抗ガン剤の点滴開始と言われていたが、結局点滴を始めたのは夕方5時過ぎになってからであった。ちなみに入院初日は皮肉にもけっこう自分的には快便だったので、体調が少し良くなってきていることに快感 [… 続きを読む]

ガン仲間のお見舞いでがんセンターへ

このブログにも度々登場している、がんセンターに入院中知り合ったHさんが、抗ガン剤の副作用があまりにも強烈で救急車で運ばれたと聞いて、今日慌ててお見舞いに行った。それでなくてもいつも速効で返事が来るのに、3日間もメールの返事がなかったので、副作用でダウンしているんだろうと心配していたのだが、まさか入院しているとは思わなかったので、とてもびっくりした。 Hさんによると、いつもより吐く回数が多くかなりつらかったが、それはいつものことと我慢していたらしい。でもそのうち、足と手が震えだしたので、さすがに変だと思い病院へ行くことにしたのだそうだ。Hさんが打っているシスプラチンという抗ガン剤は、けっこう副作 [… 続きを読む]

またもやマッサージに救われた

おととい痛みに耐えすぎたせいか、ちょっとしばらくは痛みに耐える気力が沸いてこない。昨日ロキソを飲んで快適に過ごしたこともあり、やっぱり痛みのない世界(完全になくなることはないが生活に支障のない程度の痛みに抑えること)の良さを実感してしまったため、今日は少しだけ我慢してそれ以上は我慢しないようにと、朝から決めていた。加えて、友人の研究者から「ロキソニンは服用後30分後が最も効力を発揮するので、痛みが発生すると予測された時点で前もって飲んでおくのがコツ」とアドバイスを受けたこともあり、今朝は散歩に出かける前に飲んでおいた。というのも、今の生活のリズムでは、起床後、朝のお仕事(検温、体重測定、血圧測 [… 続きを読む]

口内炎が痛い

昨日のブログで「このまま今日は痛み止めを飲まずに寝られそうだ」と書いたが、残念ながら飲む羽目になってしまった。ベッドに入って1時間、なんとか痛みを感じない体勢はないものかと、いろいろな体勢をとって痛みにじっと耐えたが、どうしてもだめだった。起きているとなんとか痛みをごまかせるが、やはり寝るとなると神経が研ぎ澄まされてしまい、相当痛みが軽くないと寝られない。でもロキソを飲んでからはすぐに寝ることができた。 でも昨日の夜中に飲んで以来、今日はロキソを飲まずに過ごせている。日中痛くなったりもしたが、なんとかびわの葉温灸でやり過ごすことができた。ただこれから寝るところだが、このブログを書きながら、少し [… 続きを読む]

ちょっとだけ虚しさを感じた日

正確には不明だが、昨日1回だけもしかしたらカマ(=酸化マグネシウム(緩下剤))を飲み忘れたかもしれない。サイモントン療法でクリニックに昼間出かけてばたばたしていたので、家に帰ってきてから飲めばいいや~と思っていたのだが、帰ってきてから果たして飲んだかどうかの記憶がない。なぜこんなことを気にしているかというと、今日便秘を珍しくしてしまい、それによって今日は便を出すのに苦労したからだ。それだけだったらまあいつものことなのでさほどブルーになる必要もないのだが、ちょっとだけ虚しさを感じたのには理由がある。 主人もさすがに毎日の私の世話と、私がやっていた経理の仕事など日々慣れない仕事をしていたせいか、少 [… 続きを読む]

痛みと闘い続けた1日

今日は久しぶりにQOL(Quality of Life)が最低の1日だった。結局昨日ブログを書き終え一度ベッドに入ったものの、1時間後に痛みに耐えきれずロキソを服用。その後なんとか寝れたが、朝起きたときにはすでに薬が切れて痛みが発生していたので、散歩に行く前に飲んだ。にもかかわらず、便が出ると痛みは発生し、日中は8時間あけることもできず(一応ロキソは1日3回までとなっているので8時間あけるのが理想)、7時間で再度ロキソを飲んだ。ロキソを飲んでもこれだけ痛いのだから、飲んでなかったらもっと苦しんでいたであろう。今は夜の11時だが、かなり痛い。ブログを書く前は実はとうとう痛さで泣きが入り、主人にマ [… 続きを読む]

人助けって気持ちいい!

人助けなんてそんな大げさなものではないのだが、今日は2度も人の役に立ててうれしい一日であった。そしてこの程度のことで「うれしい!」と感じることができるようになったのも、やっぱりガンのおかげだと思う。そしてけっこうこのブログを書くことも、案外悪くないと最近思うようになった。というのも、ブログを書くために、まずはその日一日のことをじっくりと思い返すことができること、そしてやっぱりなるべく良いこと(=読んで幸せになれること)を書きたいと思うので、小さな幸せを見つけようとすること、そしてその小さな幸せで私自身幸せを感じることできるからである。 また当初の目的・・・=私の日々の様子を家族・友人に知らせる [… 続きを読む]

目標となる人物ができた

昨日に引き続き今日も白金台へお出かけ。昨日は会長さんとの個人面談だったが、今日は東京いずみの会の定例会に初出席するためだった。昨日とほとんど変わらない格好で出かけたが、今日は昨日より一つだけグレードアップさせた(^^)。昨日はスポーツシューズだったが、今日はバッグに合わせて、黒の革靴を履いた。こうして少しずつ昔のようなおしゃれの感覚を取り戻していこうと思う。 昨日は「新たな目標ができた」であったが、今日は「目標となる人物ができた」。 今読んでいる本は聖路加病院院長の日野原氏が書いた本なのだが、生きるのが楽しくなる15の習慣の中に「自分の師となる人を見つけること」というのがあった。それ以外の14 [… 続きを読む]

我慢の限界

もうこれ以上我慢できない。今日はここ最近では一番の痛みで、しかも昼ぐらいから夕方6時まで延々と続いた。おかげで日中は何もできず、ただただベッドの中で痛みに耐えて泣いていた・・・。少しでも痛みが和らぐ格好とか方法があればいいのだが、寝ていても起きていても座っていても歩いていても、とにかく何をやっていても痛い。痛み止めもぜんぜん効かない。さすがに八方塞の状態で、これ以上どうしようもないので明日聖路加病院へ行くことにした。明日は私の主治医はいない日なのだが、明日を逃すと週末に入ってしまうので、とにかく少し強い痛み止めだけでも処方してもらいに行こうと思う。 せめて痛みの原因が分かれば対処の方法もあるの [… 続きを読む]

昨日とはうって変わって・・・・

昨日のあれはなんだったんだろう???と思ってしまうほど、今日は痛みが軽かった。昨日あまりにもつらい試練を与えたので、神様が少しこの辺でみづきを休ませてあげようと気遣ってくれたのか?(^^)理由はなんであれ、とにかく久しぶりに楽に過ごせた一日であった。 ただし、痛み的には楽に過ごせたが、病院で半日つぶされたのは痛かった。朝食抜きで朝8時半過ぎに家を出て、帰宅したのは午後2時近く。徒歩10分の距離でこれなのだから、遠くから来ている人たちはもっと大変だ。ほんのちょっとの診察のために一日がかりになってしまうであろう。 でも今日は楽な一日だったとはいえ、それは午後からの話で、午前中は病院で座って待ってい [… 続きを読む]

CT検査をするべきか、しないべきか

タイトルに書いたとおり、最近このことで悩んでいる。おととい病院へ行ったときも実はCTをとるかどうか聞かれたのだが、ブログにも書いたように朝9時に病院へいってすでに昼の1時過ぎになっていたこともあり、さすがにさらにこれからもう一つ検査を受ける体力も気力もなかったし、そもそも受けるべきかどうか気持ちが固まっていなかったので、とりあえずその日は受けないことにした。今度の水曜日に主治医の診察予約が入っているが、またそのときにその話になるであろう。 実はこの件についてはすでに1、2週間前から私と主人との間で何度か話し合っており、とりあえず現在のところ主人は受ける派、私は受けない派である。主人の意見として [… 続きを読む]

一抹の不安がよぎる・・・

ここしばらく安定していた体重が、再び減少に転じ、とうとう今朝は48キロを割り込んでしまった・・・。身長173センチで48キロだから、私が今どれだけ痩せているか想像できるであろう。はっきりいって骨と皮の状態だ。脂肪という脂肪がすべて落ちてしまい、それによって一番影響を受けているのがおしりだ。ただでさえ肛門が痛いというのに、加えておしりの肉が削げ落ち、尾てい骨が突き出てしまっているため、痛くて硬いイスに座ることもできない。自分のベッドはかなりふかふかにしているのでぎりぎりOKだが、普通のベッドでは仰向けに寝るのも難しい。だから外出するときは、おしりに敷く円座を持参することもある(^^;)。 アメリ [… 続きを読む]

闘いに疲れた日

ふー、疲れた~。何と闘って疲れたって?もちろん便以外の何者でもない。今日は痛みはまあまあだったのだが、とにかく便を出すのに苦労した。いったい朝から夕方まで何時間トイレにいただろう?はっと気がついたらもう夕方だった。散歩も一度も行けなかった。だから今日の天気が晴れていたのか曇っていたのかすらまったく分からない。雨が降っていなかったことだけはなんとなく分かっているが・・・(^^;)。 夕方のエネマでようやく便も出し切り、圧迫痛から解放され、夜になって少し調子が戻ってきた。しかし、今日はなぜかものすごい倦怠感で、完全に一日の闘いに疲れた兵士の状態になっていた。いつもであれば、復活したら散歩に行きたい [… 続きを読む]

自分のことを考える時間を持とう

昨日ブログに書いたとおり、今日は便秘解消に朝から大忙しだった。結局夜は圧迫痛でよく眠れず、これ以上ベッドに横になっていても眠れないと観念し、朝5時に起きた。それから3時間、たまっていた仕事をこなしながら便意を待ったが、一向にその気配がない。おかげでかなり仕事がはかどった(^^;)。ようやく朝9時になって少し便意を感じトイレに入ったが、便秘解消されるほどではなく、今日は朝と夜の2回もエネマをやって、なんとか難を逃れた格好だ。それでもまだ完全にすべてを出し切ったわけではないので、また明日も排便に苦労しそうだ。しかし、その一方で明るいニュースもある。昨日、今日と痛みが軽かったので、ロキソを1回飲むだ [… 続きを読む]

犯人は黒ゴマだった

本当に申し訳ない!毎日便の話ばっかりで。いい加減私もこの話題から離れたいのだが、どうしても自分の関心がそっちの方面に行ってしまうのだ。明日は大事件さえ起こらなければ、別の話題にしようと思っているので、今日までご勘弁願いたい・・・(^^:)。 実は5日前ぐらいにある悩みを抱えていた(とにかく悩みはつきない・・・)。それは便が急にこげ茶色になってきたことだった。以前にう○ちの話題で盛り上がったときブログにも書いたが、便の色も健康管理の重要なポイントであり、理想の色は黄金色だという話をした。よって、かなり黒っぽいこげ茶色の便を見たときはちょっとショックだった。完全に黒だと血の可能性があるのだが、私の [… 続きを読む]

ノー泣きの日々

毎日体調記録をつけている話は前にしたが、今日それを眺めていてふと気づいた。そういえば最近泣いてない・・・!!記録によると、最後に泣きが入ったのは5月25日であった。まさにあのボルタレン(ロキソニンより強い痛み止めの薬)をもらいに病院へ行った前日、すなわち一日中ベッドで泣いていた日だ。しかもその頃はほぼ毎日泣きが入っていた。 しかしその日を最後に、今日まで一度も泣いていない(泣きそうになったことはあるが、とりあえず涙は出ていない)。3週間泣きが入っていないとはすごいことだ。これを見ただけでも、いかに生活の質が改善したかが分かる。あえて「快方に向かった」と書かず「生活の質が改善した」と書いたのは、 [… 続きを読む]

ボルタレンを初めて飲んだ日

予想通り今日もつらいつらい試練の一日であった。昨日の夜も痛くて苦しくてほとんど寝られなかった。朝の散歩にはとりあえず出たものの、すぐに苦しくなって家に帰ってきた。トイレで踏ん張ったが出なかった。 朝ごはんを食べ、お風呂に入り、エネマの準備。ここまではまあまあ落ち着いた時間を過ごしていたが、ここからがまさに死闘であった。便が詰まっているためか、エネマの液もほとんど入らない。当然便意はあるので力むが、どんなに力んでもほんの少ししか出ない。トイレに1時間こもっていたので、気力も体力も消耗しきってしまった・・・。 ここまではまったく昨日と同じパターンだったので、今日は迷わずボルタレンを飲んだ。ボルタレ [… 続きを読む]

腸閉塞(ちょうへいそく)の恐怖、再び

私の願いは届かなかった・・・。結局朝まで出なかった・・・。最後の頼みの綱であったアメリカの下剤も失敗に終わった・・・。 というわけで、さすがにこれ以上自力ではどうしようもないので、病院へ行って出してもらうことにした。さすがに今日は主人もついていってくれた(かなりフラフラだったのでありがたい)。病院へ行くまでは痛くて苦しくてかなりつらかった。なぜならもう肛門まで便が降りてきているからだ(なのにどうしても出ない!!)。 病院へついて受付の看護師さんに「今日は主治医の先生担当の日ではないですけど、どうされました?」と聞かれ、「便が出ないんです・・・」と言った早々感情的になってしまい、泣いてしまった・ [… 続きを読む]

抗がん剤の副作用の再来のごとし

夜中の3時に目が覚め下痢がスタート。そのあと朝の8時まではなんとか落ち着いていたが、8時を皮切りに下痢の応酬。午前中は30分に1回トレイにこもっていた・・・。まさに抗がん剤の副作用の再来のごとしであった。しかしおかげで完全に便秘は解消(たぶん)!!下痢は苦しいが、とにかく気分的には楽になった。 副作用のつらさについては3月28日の記事に書いてあるが、あれは本当につらかった。そして今回も同じような状況ではあるのだが、なぜかあのときほど苦しくない。もちろん抗がん剤の副作用による下痢とカマによる下痢との強さの違いということもあるだろうが、私が思うに、1.こうなることがあらかじめ予測できていたこと 2 [… 続きを読む]

自分の力を、身体を信じる

CTを撮らない代わりというわけではないが、今日は経過観察のため、4月21日の記事に登場したユニークなクリニックに2ヶ月ぶりに行ってきた。前回は「排毒の反応が早い」というお褒めの言葉をもらい喜んでいたが、今日は特に取り上げるほどの劇的な変化は見られなかったので、少々がっかり。しかし逆に悪くなっているところもなく、むしろ肝臓と腎臓の機能は若干改善していたので、まあまあというところであろうか。白血球は3300とまだ少し少なめ。やっぱり最低4000以上は欲しいところだ。そしてどうでもよい数値であるが、左手の握力がかなり強くなっていた。取り立てて握力アップに努力したわけではないが、前回あまりにも左右の違 [… 続きを読む]