西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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余命1年の宣告

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手術当日のことはあまり覚えてない。家族ともあまり話さず終わってしまった気がする。夜、とにかく口が渇いて、水が飲めないから、何度も水を含んだ脱脂綿で口を濡らしたことだけ覚えている。ばっちり痛み止めをしているから痛みはあまりなかったように思う。こうして翌日を迎えた。翌日から早速身体を動かすように言われ、まずはベッドに身体を起こすことから始める。身体を動かすのは、合併症を防ぐためだ。看護婦さんに支えられてようやく身体を起こすことはできた。次に立つように言われたが、ふらふらしてどうしてもその日は立つことはできなかった。

午後、主人がお見舞いに来てくれた。そして手術の結果はもう聞いたかと聞いてきたので、まだ聞いてないと言うと、顔を曇らせながらこう切り出した・・・。「お腹開けたけど、結局何もできずに閉じたんだって・・・」「え・・・!?それって・・・」「ステージ4だったみたいだよ・・・」「そうなんだ・・・」「・・・」「・・・」

またジェットコースターでどん底に突き落とされた。手術さえすれば終わると思っていたのに、まさかそんなことになっていたなんて!!予想だにしなかった結果だった。そのとき涙が出たかどうかはもう覚えていない。涙も出なかったんじゃないかな。とりあえずしばらくして主人は帰っていった。

夜の回診でA先生が私の所に来た。先生に手術の結果を聞いた旨を伝え、正直なところあとどれぐらいなのかと尋ねた。すると先生が大きな声で「あと1年ぐらいは大丈夫だと思うんですけどねえ」と言うではないか。1年!!!!????そうか、そんなしか私は生きられないのか・・・。当然愕然としたが、恐らく通常の人が愕然とするよりはたぶん私の場合そんなに落ち込まなかったと思う。自分でも不思議なくらい冷静に受け止めた。そして自分のことを悲しむ前に、むしろ同室の人を気遣ってしまった。だって、みんなガンで入院しているのに、いくら他人とはいえ、あと余命が1年だとかいう話を聞いたら、落ち込んでしまうではないか。しかもそこは術後管理棟で、手術したばかりの弱っている患者さんがいるところだ。ちょっと先生のデリカシーのなさを恨んでしまった。

その夜は、余命1年という事実を冷静に受け止めると同時に、あと1年どうやって暮らしていこうか、仕事をとにかく引き継がなきゃ、人はどうやって死ぬのだろうか、死ぬのは怖くないが、苦しみながら死ぬのだけはいやだ、そんなことをつらつらと考えながら眠りについた・・・。

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(31) 神経性頻尿
(32) 病人でもおしゃれは重要!?
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著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!