西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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退院したくない!

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同室のお姉さんが明日退院することになった。同時にお姉さんを通じて知り合った別の病室のお姉さんHさん(彼女は3年前に卵巣ガンを患い、今回は再発により入院)も明日退院するとのこと。彼女たちのおかげで笑いの絶えない入院生活を送れたので、すごく寂しい。彼女たちの退院当日は、笑顔でさよならするつもりだったが、つい泣いてしまった。でもおかげさまで彼女たちとは退院後も情報交換をするなど、今でも親交が続いている。

彼女たちより私の方が3日遅れて手術をしているのに、先生が彼女たちに続いて明日退院してもいいと言ってきた。普通なら喜ぶべきところを、私はものすごくブルーになってしまった。退院したくない!そう思ってしまうほど入院生活は快適だったのだ。だって、よく考えたら、散歩はどうするのだ!?今は病院内が暖かいから快適にウォーキングできるし、トレイも至る所にあるから、あっと思ったときにでも十分間に合う。でも退院したら外を散歩しなくてはいけない。まだまだ3月初旬でめちゃくちゃ寒いし、それにトイレも公衆便所ではウォッシュレットはついてない。そして何よりも困ったのがベッドだ。当然病院のベッドは電動式でマットレスの角度調節ができる。でも我が家は敷き布団だ。日本の家は仮住まい仕様になっていたので、ベッドは渡米の際に処分してしまったのだ。それに仮にあったとしても、マットレスの角度を調節できない。実はまだ入院中、一度もフラットにして寝たことがなかったのだ。とてもじゃないけど、床に敷いた布団で寝起きは不可能だ。ベッドの重要性を痛感した。

そんなときに朗報が舞い込んだ。なんとうちの実家に祖父が自宅療養中に購入したパラマウントベッドがあるというではないか!!いやー助かった。でも持ってきてもらうには少し時間がかかるので、明日退院となるとさすがに間に合わない。そこで私は退院を延期する方法を考えた。ただ退院したくないというのでは子供の言い訳で通用しない。そうだ、熱を出せばいいんだ。というわけで、もちろん熱などなかったのだが、私は嘘の申告をした。でも嘘の申告をするにも注意が必要だ。あまりにも高熱にしてしまうと、変な薬を飲まされてしまう。これも今回の入院中に学んだことだ。西洋医学ってやつは、熱が出たと言えば「はい、解熱剤」、下痢をしたと言えば「はい、下痢止め」というように、なんでもかんでも薬で対応しようとする。よっていわゆる微熱ってやつがいいのだ。しかもタイミング良くその日は初めてシャワーが許可された日だったので、シャワーを浴びたせいで風邪を引いたようだというストーリーにすることにした。でもこの方法はあまりうまくいかなかった。がんセンターもベッド待ちの人がたくさんいるので、少しでも早く元気な人は退院させたいのだ。そこでだめもとでストレートにお願いした。「いろいろと自宅の受け入れ態勢を整えなければいけないこともありますので、せめて退院まであと2日ください」と。結局この直球ストレートの懇願が功を奏し、希望通りパラマウントベッドが我が家に到着した次の日に退院できたのである。

これは余談だが、この退院日延期作戦は、思わぬ波及効果も生んだ。それは保険である。入院保障が受けられる入院日数の条件は、20日以上の入院が必要だった。ご存じの通り最近のガンの外科手術は、おおよそ2週間で退院させられるので、ほとんどの場合保証が受けられない。しかし私の場合は、ブログには書かなかったが、手術前に行き違いがあり人より多く入院していたので、この延期によってちょうど20日間をクリアーできたのだ。まだ保険金を請求していないのでわからないが、恐らく入院保障が受けられるはずだ。いや、受けられないと困る!!せっかくガン保険に入っていたのだから。22歳の時にガン保険に入るとは、将来のこのことをその当時予想していたのだろうか?(笑)

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著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!