西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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手術当日―自然治癒力で治すチャンスを与えてくれ!

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結局一睡もできずに朝を迎えた。長い長い夜であった。手術は午後の予定。思いのほか気持ちは落ち着いていた。人工肛門に対する嫌悪感はこの時点ではまったくなく、あったのは手術後の痛みにどう耐えていくか、という不安だけであった。

実は私は手術当日の朝に、看護師から医者まであらゆる人にあることを訴えていた。それは「自然治癒力で治すチャンスを与えてくれ!」ということであった。つまり便さえ出れば今回の手術だって必要なかったわけで、便が出なくなってしまったがためにベッドから起き上がれなくなり、食欲もなくなり日常生活に支障をきたし、そのせいで自然治癒力で治す行動ができなくなってしまったのが問題になっただけのことなのだ。

従って最重要課題はとにかく便を出すことであり、今回の手術の目的は決して人工肛門設置目的の手術ではなく、便を出すための手術であるということ。あくまでも便を出すためのいろいろな方法がある中で、人工肛門がベストな方法であるからそうするのだという、そういう気持ちで手術に臨んで欲しい、もし開腹したときに他に便を出す方法を考えることができれば、そちらを選択して欲しい、ということを切々と訴えた。どこまで私の気持ちを理解してもらえたか分からないが、だめもとで私はとにかく会う人会う人に「「自然治癒力で治すチャンスを与えてくれ!」と訴え続けた。

手術は午後の予定であったが、思いのほか早く順番が回ってきた。正午に手術室へ移動することになった。両親は午後だと思っていたので、正午に病院へ来る予定にしていた。もうすぐそこへ来ているはずなので慌てて電話したが、結局ぎりぎり手術前には間に合わなかった(^^;)。よって主人にだけ見送られ、私は手術室へ入っていった・・・。

そういえば、今回一つだけラッキーだったことがある。それは手術前にあの恐怖の2リットルの下剤を飲まされなかったことだ。緊急手術ならまだしも、1日余裕があったので、絶対下剤を飲まされ腸をきれいにさせられると思っていたのだが、なぜか今回それがなかった。

しかしかなり便がつまっているので、いったいあの大量の便をどうやって出すのかと、他人事ながら心配になってしまった(笑)。まさか手術台に便をぶちまくようなことにはならないとは思うが、詰まっている便を出すのは確実なわけで、医者もつくづく大変な商売だなあと、ちょっと同情してしまった(^^;)。

手術は無事終了。手術時間は1時間半だった。案外ストーマの手術は簡単なものらしい。今回の手術で何がつらかったかって、一番つらかったのは気管挿管だった。がんセンターの手術のときはこれで苦しかった記憶はないので、何か別の方法でやったのだと思い、後日医者に聞いてみたが、そんなはずはないという。手術時には必ず気管挿管はするとのこと。でも確実に前回はその苦しさはなかった。前回の手術で一番苦しかったのは、痛みが強かったことと手術当日の夜口が渇いて渇いて、しょっちゅう水で濡らした脱脂綿を口に含んだことだ。

しかし今回は気管に入れた管が苦しくて、声は出せないし、息はできないしで、それが一番苦しかった。医者が言うには、麻酔が切れてからその管をはずしたことが、苦しさを増した要因のようである。もしかしたらがんセンターのときは、麻酔がまだ切れていない状態のうちに、管をはずした可能性があるのではないか、だから苦しかった記憶がないのではないか、ということであった。もしそれが可能なのであれば、なぜ今回そうしてくれなかったのか!!??(怒)麻酔が切れて、看護師や医者からいろいろ質問を受け答えようにも、喉が痛くて声が出せなかったのが苦しさを倍増させたし、また言いたいことを伝えられないもどかしさで、精神的に追い詰められてしまい、一時期呼吸困難に陥るぐらいに呼吸が苦しくなってしまった。そのとき自分で、精神的にイライラするほうがかえって自分を苦しめることになると悟ったので、極力落ち着くようにがんばり、なんとか事なきを得たのが実際のところである。

手術後に連れて行かれた病室は、とにかく寒くて寒くて、完全に身体が芯から冷え切ってしまい、電気毛布やらタオルやらでぐるぐる巻きにしてもらって、ようやく温かさを取り戻した次第だった。その「寒い」ということを伝えたくても、声が出ないので、なかなか看護師さんに思いを伝えられず、かなりイライラした。恐らく通常は同じ手術を受けた患者は声が出せるのであろう。看護師さんは私が声が出せないとは思っていなかったので、声が出せないことを知ってもらうまで大変だった。手を挙げたくても当然身体はまったく動かないし、今考えても、この術後管理室にいた小一時間が最高につらかった。

病室へ戻ったら主人と遅刻した(笑)両親が待機していた。いろいろと質問されるが、やはり喉が痛くて声が出せない。主人が言ったことで訂正したいことがあっても、声が出ないので訂正できない。本当に声が出ないというのは不便だと思った。

そういえば今回良かった点は、前もって鼻にチューブを入れるときに注意するようにお願いしておいたおかげで、今回は鼻を傷つけられずに済んだことだ。前回の手術では、鼻に通したチューブのせいで鼻の入り口が傷ついてしまい、痛みはさほどではないのだが、とにかくいつまでも黒く痕が残ってしまってい困っていたからだ。10ヶ月経った最近になってようやく黒ずみが目立たなくなってきた矢先の再手術だったので、また元通りになってしまうのかと心配していたのだが、前もってそのことを伝えておいたら、傷つかないように当て布をしてチューブを入れてくれたようで、おかげで今回は何も問題がおきなかった。昨日も書いたが、やはり前回の経験が今回いろいろなところで生きている。そしてちょっとした気遣いで、無駄な傷や苦しみから逃れられるということを知った。患者が言う前に、医者のほうで気を遣って処置してもらえると助かるのだが、やはりそこまでのケアフルさを求めるのは無理というものなのであろうか・・・?

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著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!