西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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手術、そして最悪な結果へ

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アメリカから日本に緊急帰国してからちょうど1ヶ月。とうとう手術の日がきた。ストレッチャーに寝かされ手術室へ運ばれるとき、思わず涙がこぼれた。私は一言「がんばってくるね」と言って手術室へ入っていった。まずは麻酔の精髄注射を打たれた。これは中学1年のときの盲腸の手術で体験済みだったから、さほどつらくはなかった。そして次に口に全身麻酔の呼吸器みたいなのをつけられ、1回吸ったらまぶたがガクーンと重くなり、2回目で私の意識は完全に遠のいた。

手術後2、3日は術後管理病棟に入る。麻酔から目が覚めたとき、私は真っ先に人工肛門になっているかどうかを確かめた。もちろん手足は動かない。あくまでも感覚だが、なんとなくそうなっていない感じだ。よかった・・・。人工肛門は避けられたんだ!私は手術の結果を知らずに、ただただそれだけがうれしかった。時間を聞くとお昼すぎぐらいだった。朝一番の手術だったから「けっこう早かったんだな。まあそうだよな、人工肛門になる場合は6時間ぐらいかかるっていってたけど、そうじゃない場合は3時間ぐらいって言ってたもんな」ぐらいにしか思っていなかった。そして疲れと眠気とで、家族と話す気力もなかったので、少し眠るからご飯を食べてきてと言った。眼鏡をしていなかったのでそのときの家族の顔色はわからなかったが、まあ恐らく相当引きつっていたんだろう。あとで聞いた話だが、とりあえず主人、母、義母の3人で食堂へいったものの、あまりのショックで食事もほとんどのどを通らなかったそうだ。そりゃそうだよな、開腹したものの、転移が予想以上に広がっており、卵巣だけとってあとは何もせずに閉じちゃったんだから。だから手術時間もたったの1時間半で終わったそうだ。

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(26) 余命1年の宣告
(29) バリアフリーの必要性を痛感
(30) 食事開始、一般病棟へ
(33) 下手に痛いなどと言うべからず
(31) 神経性頻尿
(32) 病人でもおしゃれは重要!?

著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!