西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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痛くて肛門が触れない!

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今日は肛門の痛みが最高潮に達した。紙で拭けないのは当然のこと、薬を塗るために肛門を触ることすらできないぐらい痛くなってしまった。原因は下痢。今日はなぜかものすごい下痢で、ぜんぜん止まらないのだ。これほどの強烈な痛みは、ここ最近味わっていなかったかもしれない。いつもブログに書いているように、毎日かなり痛いのだが、この裂けるような強烈な痛みとはちょっと違う。

ただこれだけ痛いのに、涙がそんなに出なかったのは、やはりこの痛みが割りと前向きな要素を含んでいるものだからだと思う。一つは、この痛みと引き換えにけっこう便が出てくれたこと、そして痔の痛みであれば時間がかかっても治癒できるという希望があること、それからもう一つ、昨日のブログには、日中一度もガスが出なかったと書いたが、実は書き終わって寝る直前に逆立ちしたら、なんと大きいのが2発出たのだ。さらには夜中から明け方にかけても何回か出てくれたのだ。夜中のことを知っているということは、すなわちまたぜんぜん痛くて寝れていなかったということを意味するのだが、そんなわけで昨日は同じ寝られないにしても、ガスが出てくれたので少し気が紛れた。以上のことから、比較的気分が前向きになっていたので、この強烈な痛みにも涙することなくがんばれたのだと思う。

それにしても私は悪運が強い。今日はリンパ球療法で外出しなければならなかったのだが、とてもじゃないけどできるような状態ではなかった。ところが、昨日もかなり下痢&痛みで苦しんでいたので、昨日の夜の時点で今日のこの状況を予期し、父には申し訳ないが車で送ってくれるよう頼んでおいたのだ。車というだけならタクシーで行けば良いのだが、父の車はワンボックスカーで後ろの座席をフラットにして寝ていけるようにしてあるので、排便をストップさせるのにもってこいなのだ。前にも書いたと思うが、とにかく起きていると肛門に重力がかかり、もよおしやすくなるので、ひたすら重力がかからないように横になってじっと動かないことが一番なのである。おかげでなんとか外出でき、無事リンパを注入して帰ってくることができた。なんせ今日行けなかったら25万円がパーになるので、そう思ったら這ってでも行かなければ!!という気に人間なるというものだ(苦笑)。

思えば父の車に救われたのは今日が2度目である。一度目はまさにアメリカから緊急帰国してきた日だった。突然の帰国だったので、父の予定がすでに入っていて、しかもどうしても動かせない予定だったため、成田空港に救急車を待機させるかという話までしていたところ、これまた突然父の都合がなんとかつき、成田空港に迎えに来てもらうことができたのである。あのときも後ろで横になって東京まで帰って来れたので、ものすごく助かった。

そうそう、上で痔と書いたが、なんと痔ではないらしい。今日のクリニックの先生(消化器専門)の触診によると、私が痛くて触れないと言っていた突起物は、単なる肛門のたるみなのだそうだ。そのたるみが大量の下痢で傷がつき、痛みを発生させているのだろうということであった。よって座薬も入れなくて良いといわれた。これは私にとっては朗報であった。そして痔ではないので、この強烈な痛みに関しては、ひたすら麻酔入りの軟膏を塗るしか方法がないらしい。でも、さっき塗ったら少し痛みが落ち着いてきて、こうしてブログも書けるぐらいになったので、なんとか軟膏で対処していけそうだ。それにこれに関しては、とにかく下痢さえ止まってくれれば回復していくと思うので、しばらくはつらいかもしれないが、気分的には安心感がある。今はとにかく早く下痢が止まることを祈るだけである。

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著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!