西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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人間は生かしてもらっているのだろうか?

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故絵門ゆう子さんは、毎日朝起きたら「今日も一日生かしてくれてありがとう」とベランダに出て天に向かって感謝していたそうだ。いろいろなガン患者の本を読むと、やはり多くの人が「毎日生きていることに感謝している」と書いている。

実は正直なところ、私は一度もそう思えたことがない。生きていてよかったとか、生かしてくれてありがとうとか、どうしてもそう思えないのだ。これはガンになってからだけではなく、今までの人生において一度もそう思ったことがない。今朝も無理やりそう思おうとしてみたが、やはりだめだった。それは当然だろう。こういうことは無理やり思うものではなく、自然にかつ心の底から思えなくては意味がない。

なぜ思えないのだろう。恐らくまだ自分としては「生きているのが当たり前」と思っているからだと思う。そして誰かに生かしてもらっているという感覚がないからであろう。ガンになってからのこの一連の勉強の中で、私たちは宇宙の一部であり、宇宙と一緒に呼吸しているということを学んだ。それは理解できているのだが、しかしそれでもまだ私の中では、宇宙という壮大な存在に生かしてもらっているとは思えないのだ。

ただ、一つだけ前進したのは、食べ物や家族及び友人の協力には感謝するようになった。以前は食事をしていても、食べるのは当たり前で、野菜を食べながら”この野菜のおかげで私は生きている”などと考えもしなかった。でも今は一つ一つ食べながら感謝をしている。びわ葉温灸をやれば、びわにパワーをもらっていることに感謝している。家族や友人に対しても同様だ。とりあえず物質的なものや愛には感謝できるようになったようだ。

しかし、感謝はすれど、どうしても「生かしてもらっている」という、いわゆる受動的な気持ちにはなれない。やはりまだ私としては、いろいろな人や物に「協力」はしてもらっているが、あくまでも「自分の力で」生きている、と思ってしまう。やはり「生かしてもらっている」と思わないといけないのだろうか。そう思えるようにならないと、やはりガンは治らないのだろうか?なぜならガンはメッセンジャーだから、もしガンが私にそのことを伝えたいと思っているのであれば、私がそう思える日が来るまで、私の身体に居座り続けるであろう。まだまだ私は修行が足りないようだ。

今日はほとんどガスが出ず(ほんとに信じられないぐらい出なかった・・・(^^;))、夜8時から12時までの4時間、圧迫痛&通過痛で苦しみ、さすがに痛み疲れしてしまった。今、夜中の2時であるが、ようやく痛みが落ち着いてきたのでそろそろ寝るとするか。果たして眠れるかどうか・・・。

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著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!