西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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ガンからのメッセージ

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<写真の説明>いつも無農薬野菜を下さる母の友人からの新鮮な野菜たち。おいしいきゅうりは味噌をつけてそのままカリッと食べるのが一番。甘くて超おいしかった!!!

7月4日付けの記事では時間がなくて書けなかった「ガンからのメッセージ」について今日は書きたいと思う。1年前にガンが発覚してから今日までの間、このブログにもガンから受け取ったメッセージをいろいろと書いたが、なんとなく私の中では、もしかしたらこれかもしくはあともう一つぐらいで最後かなという気がしている。そしてもしこれが最後であるならば、これをクリアーできればガンは完治するということであるのだが、逆に言えばそう簡単にガンが克服できるはずもないので、当然ながら私にとっては大きなハードルになる。しかしここ最近の一連の出来事によってまたいろいろ学んで成長できたので、これから飛び越えなければいけない巨大な10mぐらいあるハードルの、地面から1メートルぐらいのところまでは登れたかなという感じはしている。

さて今回のガンからのメッセージは何であるかというと、ボランティア精神である。17年ぶりの先輩との再会も、先日偶然にも見ることになったTV番組もそうだったが、最近の私の身の回りで起こるいろいろな事象の共通ワードがそれだからである。実はガンになる前から私は、ボランティア精神に欠けている自分がいやで、自分自身なぜそうなのか非常に理解に苦しんでいた。たいていのことはまっとうなもの(=世の中で良いとされるもの、善行)に対して理解を示し、実行してきた私だが、なぜかボランティアに関してだけは積極的になれない自分がいた。しかしそうなってしまったのはごく最近のことで、逆にそうなる前は街頭で募金を募っていれば必ず募金し、赤い羽根や緑の羽根なども必ずつけるような、どちらかというとボランティア精神溢れる人間であった。ところがいつからか、何をきっかけにそうなったのかはまったく記憶にないのだが、気がついたときにはあまり募金をしない人間になっていた。

これが直接の原因になったわけではないが、昔こんなことがあった。確か街頭で募金を募っていたときのことであるが、そのときは一箇所ではなく何箇所かに散らばって子供たちが募金をお願いしていた。当然私は募金をした。しかし数メートル歩くとまた他の子供たちにお願いされた。私はまた募金をした。でも私だってお金持ちではないから限界というものがある。よって3人目からは協力はしてあげられなかった。するとそのときに誰に言われたかは忘れたが、とにかく「なんだよー、してくれないのかよー、けち!」みたいなことを言われ、すごくがっかりしたのを覚えている。今から思えばそのように思うなんて甚だ情けないのだが、自分の限界を見た気がして、募金に協力することが馬鹿馬鹿しくなってしまったことを覚えている。

限界といえば、特にアメリカに住むようになってからあまりにもそういう機会がありすぎて疲れてしまったというのもあるかもしれない。アメリカでは町中のいたるところで募金を求められ、さらには子供たちが家に協力を求めて訪ねてくる。すべてにいい顔をしているととてもじゃないがお金が持たない。恐らくアメリカ人たちも同じ状況なので、そういうことに慣れている彼らは、自分の気に入ったものにだけ協力してうまくやっていっているのだろうが、不慣れな私はついどれにも協力してあげたいと思ってしまうものだから逆にパンクしてしまい、結局その結果がどれにも協力をしないという最悪な結果を招いてしまったのである。

しかしこれで私のボランティア精神が完全に消え去ったわけではない。ただ単に形が変わっただけというか、目標の設定が変わっただけというか、つまりはビッグプロジェクトに関心が移ったのである。要するに日々の募金への協力といった小さなボランティアに消極的になっただけであり、逆にやるなら大金持ちになってどかんと何かやりたいと思うようになったのである。私が日ごろお金持ちになったらやりたいとよく考えているのは、貧しい国々の人たちのために採算度外視で彼らに仕事を与えてお給料をあげて貧乏生活から救ってあげることとか、日本で不要になったパソコンや洋服やTVや自転車を集めて送ってあげる(しかもゴミを減らすことにもなるので一石二鳥)とかいうことである。

もちろんこういうビッグプロジェクトでボランティアをすることも非常に良い事である。しかしもっと重要なのは、一人ひとりの日々の小さな協力であると思うのである。それが頭では分かっているのに、最近の私は街頭で募金もしなくなってしまったし、世界中で自然災害が起こるたびに募金の協力が呼びかけられ、いくらでも日々の生活でボランティアできるチャンスはあるのに何もやっていない。

だから、そういう人間になってしまってからは、例えば24時間TVで貯金箱を持って武道館に行く人々や街頭で募金に協力をする人、ボランティア活動をしている人などを見るといたたまれない気持ちになる。特に私が尊敬するのは、もちろん著名人などが多額の寄付をすることもすごいとは思うが、それよりもごく普通の一般の人が、少ないお小遣いの中から一生懸命に協力している姿や、給料をもらって働くこともできるのにあえてボランティアで働く人の姿である。私の入院中も多くの方がボランティアで働いていた。私はいつもボランティアの方たちを見るたびに尊敬の眼差しで見ていた。そして恐らく私にはできないだろうと思っていた。

このように、とにかく最近の私はボランティアということに関して悶々としていたのだが、そんな私にまず最初に一筋の光を見せてくれたのが、先日のTV番組であった。フィリピンのごみ山で働く少女を取材した女優の酒井美紀が「私には何もしてあげられない」と言って涙を流していたのだが、私はそれを見て「違う!」と思った。しようと思ったらしてあげられるじゃん、て思った。恐らく彼女は「少女を貧乏生活から救ってあげられない」という意味でそう言ったのだと思うが、確かに少女を完全に救ってあげることはできないかもしれない。残念ながらそれだけの力は私にも彼女にもない。しかしほんの少しのことであれば少女にしてあげられることはたくさんあるはずだ。例えば1万円あれば2、3ヶ月分の食事代ぐらいになるだろうし、病気のお母さんの薬代の足しになるのであり、1万円ぐらいであればなんとか捻出できる金額である。

ちょうどTV番組を見てボランティアについて考えさせられていた矢先に、先輩との再会があった。先輩はボランティアで外国人に日本語を教えていた。そして先輩には、何も労働の対価はお金だけではないということを教えてもらった。先輩はこのボランティアを通じて彼らからいろいろなことを学んでいるのだそうだ。そして先輩の場合は労働の対価として知識や情報を得ているのだと思うが、例えば前述の病院のボランティアの方々の場合は、もしかしたら私たち入院患者からの感謝の気持ちや喜ばれているという充実感からやっているのかもしれない。

というわけで、私がTV番組を通じて学んだのは、何も大金持ちにならなくてもその前にいくらでもできることはたくさんあるということであった。悶々としていたときの私はまさに酒井美紀と同じであった。ALL OR NOTHINGでしか考えていなくて、少しだけ協力する、一部分だけ協力するということをしようとしていなかった。

さっきも書いたが、ボランティアをしようと思ったら日々いくらでも周りにそれができる機会がある。自然災害が起こればすぐに募金のための口座が設置され、お金の協力もできるし労働での協力も簡単にできるようになっている。何も貯金箱を持って武道館までわざわざ行かなくても、今の時代は自宅にいながらにしてインターネットで振込もできるし、電話をかけて募金することもできる。

確かに必要とするもの全部に協力をすることは不可能である。しかし自分に余裕があるとき、あるいはこれと思ったものがあるときに、即実行に移すことが重要だと思った。例えばアメリカン航空の飛行機に乗ると、食事と一緒にユニセフの封筒を渡されることがある。そんなときたった1ドルでもいい、できる範囲で一人ひとりが協力することが重要なのだと思った。なぜならもし500人乗りのジャンボジェット機で全員が1ドル協力してくれたら、たった1回のフライトで500ドル集まるのである。聞けば、中国の貧しい農村では100ドルあれば一人の子供が1年間学校に通えるというではないか。そう考えると、私たちにとってはたったの1ドルでも、そのたった1ドルの協力が持つ力というのは恐ろしく大きいものなのである。

まだ労働でのボランティアをしようという気にはなれていないので、完全に悶々とした気持ちが吹っ切れたわけではないが、とりあえず募金の協力においては、また昔のようにやれる気がしてきた。だからそういう意味で1mぐらいは登れたかなと感じている今日この頃なのである。恐らくこのテーマはまたいろいろな方からご意見がもらえそうなので、それによって労働でのボランティアについても積極的になれるようになることを期待したい。

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記事投稿日:

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(447) みなさんすごいです!おかげでさらにもう1m登れました\(^^)/
(449) 麻薬の変更で現在苦労中(^^;)
(450) あまりよくなかったCT検査の結果
(451) モルヒネ大増量で少し復活
(453) 来週木曜日発売の週刊文春に掲載予定です
(452) 本気になれない自分がいやになる

著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!