西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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思い出作りは必要?不要?

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私の弟が母に「姉貴と二人で温泉にでも行ってきたら?必要あれば俺が宿を探して予約してあげるよ。俺にできるのはそれぐらいだから」と言っていたという話を母から聞いた。我が弟ながらなんとやさしい、いいやつなんだ。でもこんなにできのいい弟になったのは大人になってからで、特に子供が生まれてから一層いい奴ぶりが加速したと思う。親は子供を育てるのと同時に子供によって成長させられると言うが、まさしくその通りだと思う。その点私には子供がいないので、人より成長していない分があると時折感じることがある。忍耐とか思いやりとか、そういう点が自分には欠けていると感じることが時々ある。

さて、また今日も本題とずれそうになったので話を戻そう。母からこの話を聞いたとき、「そういえば病気になってから一度も旅行に行ってないが、私は思い出作りをしておくべきなのか」という問いがふと頭に浮かんできた。かなりビミョーな話になるので言いにくいが、普通に考えたら私の余命はせいぜいいいところあと1年である。なぜなら1年前に医者から言われた余命はとっくに過ぎているからである。よって普通の末期がん患者であれば、おいしいものを今のうちに食べておくとか、行きたいところには行っておくとか、やりたいことはやっておくとか、いわゆる「人生悔いのないように」みたいな行動をすると思うのだが、よく考えたら私はそういうことを一切やってない。それどころか主人も私も完全に2年後の復活に焦点を絞って人生の計画を立てているぐらいである。当然ながら私が死ぬなどという考え及びストーリーは微塵もない。だから特別に思い出作りをする必要もないので、病気前となんら変わらない普通の生活をしている。でも冷静に考えてみて、本当にそれでいいのだろうか?もし万が一最悪な状況になったとき後悔しないだろうか?今の私はあまりにも普通に生活しすぎているので、ちょっと不安になってきた。だからといって、いきなりいろんなところにわざとらしく旅行に行ったりするのも、まさに死ぬ前の思い出作りをしているようでいい感じはしない。というわけで、なかなかこれもビミョーな問題であるが、それにしても1年間一度も旅行に行かないというのもなんなので、もう少し痛みをコントロールできるようになったら旅行にでもいきたいと思う。普通の思い出作りとして。

ところで思い出作りなんてことを考え出したら、ふとある主人の行動を思い出した。最近私がおしゃれをして出かけようとすると、その姿を主人が写真に撮るようになったことだ。口に出しては言わないが、もしかして主人は私が元気なときの姿を写真に収めておこうと思っているのかもしれない。なんかそう思ったら泣けてきた・・・。愛を感じるぜい!

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著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!