カリフォルニアにいるアメリカ人の友人ポールからメールをもらった。「調子はどう?」という問いに対し、私は「特に変化ないよ。毎日やるべきことをやっているだけ」という返信をした。すると次のメールに「最近楽しいことある?」と書かれていた。それに対し私は「残念ながら何もないよ。痛いから何もできないよ」と返信した・・・。
そう、何もない。何も楽しいことがない。そう思ったらものすごく悲しくなってきた。アメリカにいたときは、近くのワイナリーに行ってサンドイッチ片手にワインを飲みながらジャス演奏を聴いたり、公園でのんびりしたり、海へ行ったり、ショートトリップに出かけたりが楽しかった。また週に1度の外食デーで、おいしいお酒&料理を食べにおしゃれなレストランに行くことが楽しみであった。今は食事制限中なのでそんなことはちろんできない。それはあきらめているからいいのだが、例えば今の私にでも可能なこと・・・お芝居を見に行くとか、きれいな景色を見にドライブに行くとか、そういったことすら何一つない。毎日ひたすら朝から晩まで治療メニューを淡々とこなしているだけ。しかも痛みでそのメニューすら満足にこなせない日々・・・。
この話を主人にした。楽しみが何もないなんて話をしていたら、情けなくて涙が出てきた。そしたら主人はこう言った。「それじゃ、ママになれないよ」。この発言の意味するところは過去記事(4/20)を参照いただきたいのだが、要するに身近なところに楽しみをみつけることが重要だということである。そして主人も今の私と同じような悩みを持っていたが、すでに克服しつつあるという話をしてくれた。
思えば、主人も苦しんでいた。つい最近まで主人もものすごくイライラしていた。そりゃ当然だ。今までずっと自由に好きな仕事(システム開発)をして生きてきたのに、私のせいで生活が一変、私がやっていた事務仕事も代わりにやらなくてはいけないし、私のケアもしなくてはいけないしで、ぜんぜんシステム開発に費やす時間がとれなくなってしまったのだ。私もそれについては心から申し訳ないと思っていて、なんとか主人にまた好きな仕事ができる環境と時間をあげたいと日々画策しているのだが、現状ではどうしても不可能だ。本当にごめんね、もう少し時間を頂戴ね。
そして主人は、次のような方法で克服したということを話してくれた。セカンドベストかもしれないけど、とにかく今自分の周りにあること、すでにやっていることの中で楽しみを見つけること。そして主人の場合は、本を読むこととDVDを見ることにたどり着いたようだ。そのように考えられるようになったら、すごく気分が落ち着いたということであった。そう言われてみれば、最近の主人はあまりイライラしなくなった。表情も穏やかになった気がする。
同じように私も探してみた。そしたら私も、本を読むこととブログを書くことが今の生活においては楽しんでやっていることだと気がついた。本を読むことは治療でもなんでもない。自ら進んで楽しいから読んでいる。基本的に私が読んでいるのは、小説とか漫画ではなく、ガンや医療関係の知識・情報本みたいなものばかりだが、私にとってこの手の本を読んで勉強することは、ものすごく楽しいことなのだ。新しい知識を得る、未知の世界を知るというのは、この上ない喜びなのである。
ブログを書くこともそうだ。もちろん体調の優れない時など、ときには書くことがつらいときもあるが、ほとんど場合は”今日は何を書こうかな~。タイトルはどうしようかな~”などと楽しみながら考えているのである。
こうして私の楽しみを見つけたので、早速ポールに訂正のメールを出した。楽しいことないって書いたけど、あったよ!って。主人のおかげで楽しみを見つけられた。というか、前に見つけていたのに忘れていた。よって今回再認識させてもらったわけだが、人間こういうことの繰り返しなんだろうなあとつくづく思った。自分では分かっているはずでも、今回のように忘れてしまっていて、自分を見失ってしまうことがある。でもほんのちょっとのきっかけ、ほんのちょっと誰かに気づかせてもらうことで、胸のつかえがすーっと取れることがある。
今の私の課題は、肉体的な治療というより、精神的な治療であるように思う。治療というとちょっと大げさであるが、多少精神的に不安定な部分があるので、少しずつ前向きに考えられるようにやっていこうと思う。つい先日は佐藤さんの言葉で目が覚めたし、今日は主人の言葉で救われた。
みなさんは、楽しいことあるって聞かれてすぐに答えられますか?すぐに答えられる人はものすごく幸せな人だと思う。もし答えられない人がいたら、ぜひ上記のような方法で小さな幸せ&楽しみを見つけて欲しい。
そう、何もない。何も楽しいことがない。そう思ったらものすごく悲しくなってきた。アメリカにいたときは、近くのワイナリーに行ってサンドイッチ片手にワインを飲みながらジャス演奏を聴いたり、公園でのんびりしたり、海へ行ったり、ショートトリップに出かけたりが楽しかった。また週に1度の外食デーで、おいしいお酒&料理を食べにおしゃれなレストランに行くことが楽しみであった。今は食事制限中なのでそんなことはちろんできない。それはあきらめているからいいのだが、例えば今の私にでも可能なこと・・・お芝居を見に行くとか、きれいな景色を見にドライブに行くとか、そういったことすら何一つない。毎日ひたすら朝から晩まで治療メニューを淡々とこなしているだけ。しかも痛みでそのメニューすら満足にこなせない日々・・・。
この話を主人にした。楽しみが何もないなんて話をしていたら、情けなくて涙が出てきた。そしたら主人はこう言った。「それじゃ、ママになれないよ」。この発言の意味するところは過去記事(4/20)を参照いただきたいのだが、要するに身近なところに楽しみをみつけることが重要だということである。そして主人も今の私と同じような悩みを持っていたが、すでに克服しつつあるという話をしてくれた。
思えば、主人も苦しんでいた。つい最近まで主人もものすごくイライラしていた。そりゃ当然だ。今までずっと自由に好きな仕事(システム開発)をして生きてきたのに、私のせいで生活が一変、私がやっていた事務仕事も代わりにやらなくてはいけないし、私のケアもしなくてはいけないしで、ぜんぜんシステム開発に費やす時間がとれなくなってしまったのだ。私もそれについては心から申し訳ないと思っていて、なんとか主人にまた好きな仕事ができる環境と時間をあげたいと日々画策しているのだが、現状ではどうしても不可能だ。本当にごめんね、もう少し時間を頂戴ね。
そして主人は、次のような方法で克服したということを話してくれた。セカンドベストかもしれないけど、とにかく今自分の周りにあること、すでにやっていることの中で楽しみを見つけること。そして主人の場合は、本を読むこととDVDを見ることにたどり着いたようだ。そのように考えられるようになったら、すごく気分が落ち着いたということであった。そう言われてみれば、最近の主人はあまりイライラしなくなった。表情も穏やかになった気がする。
同じように私も探してみた。そしたら私も、本を読むこととブログを書くことが今の生活においては楽しんでやっていることだと気がついた。本を読むことは治療でもなんでもない。自ら進んで楽しいから読んでいる。基本的に私が読んでいるのは、小説とか漫画ではなく、ガンや医療関係の知識・情報本みたいなものばかりだが、私にとってこの手の本を読んで勉強することは、ものすごく楽しいことなのだ。新しい知識を得る、未知の世界を知るというのは、この上ない喜びなのである。
ブログを書くこともそうだ。もちろん体調の優れない時など、ときには書くことがつらいときもあるが、ほとんど場合は”今日は何を書こうかな~。タイトルはどうしようかな~”などと楽しみながら考えているのである。
こうして私の楽しみを見つけたので、早速ポールに訂正のメールを出した。楽しいことないって書いたけど、あったよ!って。主人のおかげで楽しみを見つけられた。というか、前に見つけていたのに忘れていた。よって今回再認識させてもらったわけだが、人間こういうことの繰り返しなんだろうなあとつくづく思った。自分では分かっているはずでも、今回のように忘れてしまっていて、自分を見失ってしまうことがある。でもほんのちょっとのきっかけ、ほんのちょっと誰かに気づかせてもらうことで、胸のつかえがすーっと取れることがある。
今の私の課題は、肉体的な治療というより、精神的な治療であるように思う。治療というとちょっと大げさであるが、多少精神的に不安定な部分があるので、少しずつ前向きに考えられるようにやっていこうと思う。つい先日は佐藤さんの言葉で目が覚めたし、今日は主人の言葉で救われた。
みなさんは、楽しいことあるって聞かれてすぐに答えられますか?すぐに答えられる人はものすごく幸せな人だと思う。もし答えられない人がいたら、ぜひ上記のような方法で小さな幸せ&楽しみを見つけて欲しい。
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