西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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そろそろ苦痛から解放されるかも知れません

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【写真】パシフィックエッセンスというエッセンススプレーをいただきました。毎朝、私(夫)がこのスプレーをみづきにかけるのが最近の日課となっていました。みづきもリラックスできていたようです。

夫です。皆様の数多くの励ましのコメントを有難うございます。

このブログを通じて、多くの方に支えられて、みづき、家族ともども大きな心の支えとなっています。

さて、みづきの病状ですが、金曜日あたりから耳管開放症の症状がかなり強くなり、頭の中で鐘を鳴らされているような状態となりました。外からの声より、自分自身の声がさらに大きく反響してしまうようです。木曜日まではテレビでオリンピックを観る事もできました(みづきも高校時代にやっていたことから特に体操の種目を観るのが楽しみでした)が、金曜日からはそれもできなくなりました。

さらに一昨日から呼吸も苦しくなり、酸素吸入を始めています。血中酸素飽和度という指標があるのですが、先日から85%となったので、現在は2L/分の量で酸素を吸入しています。水分を飲み込む力も低下してきて、数少ない楽しみのひとつの、好きな飲み物を飲む(一日1000ccまでの制限あり)ということも苦しくなりました。ゆっくりとゴクンゴクンと飲まないと喉に入って行かないのです。

痰も絡むようになり、定期的に吸引が必要になりました。痰がむせて、呼吸困難になるのがとても辛そうです。

そして、緩和ケアにおける緩和措置のひとつとして、残りの時間を苦痛無く平穏に過ごせるように、ずっと眠らすという方法がありますが、その措置は残り数日という段階でないと適用できません。

しかし、そろそろそういう措置が可能な範囲になってきたとの話がありました。

みづきは6月23日に危篤状態になり、その後奇跡的な復活を遂げました。その後体調もすこぶる良くなって、本人も「奇跡を信じる気になった」と言って、回復に向けて気が満ちていた時期もありましたが、やはり徐々に体力が落ちて行く事を感じ、それに伴い様々な苦痛もさらに加わり、残りの時間を眠り続けて過ごすという事を強く望むようになりました。

次に目覚めた際に、改めて本人に確認してから、そのような措置も検討することになっています。

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著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!