西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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闘いの終焉

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【写真】オーストラリアの自然遺産フレーザー島で撮りました。美しい自然が豊富にあり、また行きたい場所のひとつでした。

みづきが亡くなってから一週間が経ちました。厳密には、今記事を投稿している15分後に、みづきの人生最後の呼吸を終えました。

みづきが病院を出る際、今までみづきに携わってくださった先生方、看護師さん、ボランティアさん皆さんが最後のお別れに来てくださいました。悔いの残らない闘病とする為の要素のひとつとして、病院や医療スタッフからの接され方も重要だと思います。納得が行くまで辛抱強く説明してくれたり、患者がどこまで我が儘を許してもらえるかの包容力など、病院によって様々です。その点で聖路加国際病院の緩和ケアは頑張りたい人にも頑張らないと決めた人にも、どちらでも満足できるのではないかと思いました。

そして、みづきと夫である私がきちんと最後の言葉を交わせた事も重要でした。昏睡状態に入る日、その日みづきは朝10時頃に目覚めました。いつもは朝6時頃には起きるので遅めの目覚めでした。私が6時半から居た事を話すと、待たせてごめんねと言いました。丁度、目覚めた直後くらいにリフレクソロジーのボランティアの方が来たので、お願いしました。みづきは、その日のスケジュールもきちんと覚えていて、今日はあれとこれがあるという感じで話していました。リフレが終わり、ひと休憩する際に、いつもよりも遅めの目覚めのキスをして、その後、自然と最後のお別れのような会話をしたのです。

私:愛してるよ

み:私も、この世で一番愛してる。

私:僕も、世界で一番愛してる。

私:今まで楽しかったね。

み:最後は大変だったけどね。

私:まあ、ちょっとだけね。でも、後悔はしてない。

み:私も。ありがとね。

私:こちらこそ、ありがとう。

という言葉を交わして、みづきが目を瞑り、そのまま昏睡状態になりました。

ドラマと違い現実の世界で最後に交わす言葉は選べません。結果的に最後になるだけです。ドラマのように都合良く交わす事は実際は不可能なのです。ですが、みづきと私の場合は運良く交わせた形となりました。私は人生の半分は運でできていると思っていますが、その運も只待っているだけではだめで、自分から手を伸ばす事も必要だと思います。今回の運は、お互いが直感に従った事で掴めたという事になるのでしょうか。そして、もうひとつ父・母・夫の三人が一丸となって精一杯みづきの看病ができた事。これがあったからこそ悔いを残さない事になりました。三人が完全燃焼できました。

みづきと私は、ビジネスと家庭を共に歩んできました。つまりは365日起きている時間、ほとんど一緒にいた事になります。ですが、不思議と鬱陶しさなどありませんでした。これだけ一緒にいて会話も常にしている状態なのに、話が尽きないのです。まさに一心同体という言葉通りの夫婦でした。ビジネスパートナーでもあるみづきとは、ビジネス面でも判断を要する場面を何度も乗り越えました。経営にも確実に成功するという正解は用意されていません。自分達なりに、悔いの無いよう情報収集をして決断して結果があるのみです。今回の闘病に関して取り組む姿勢も、自然にそれと同様にしていたのかも知れません。

さて、話は変わりますが、みづきが亡くなってしまった事で心配している事があります。このブログの読者の方で闘病中の方やそのご家族の方に対してです。やはり末期癌からの生還は無理ではないかという想いになってしまう事を心配しています。ガン患者が100人いれば100の症状があります。みづきの場合はこうなってしまいましたが、奇跡はあると今も私は信じています。みづきも抗がん剤が奏功すれば最長2年と言われましたが、実際には抗がん剤、放射線、切除手術をせずに2年半生きました。自分達の治療方法に間違いは無かったと思っています。みづきの場合、やはり効果があったのは、毎日1時間以上の散歩、無農薬野菜を中心とした玄米菜食の食事、ガンに負けないという気持ち、この3つだと思います。ガンに効くというサプリメント類は世の中に山のようにありますが、ほとんど使いませんでした。免疫細胞療法も、プラシーボ効果としてはあったのかなくらいでした。何か目に見える事をやることで前向きになれるのであれば、それも有効かと思います。しかし、実際には運動・食事・精神の三本柱で闘う事ができると思います。それと、家族の方は、ガンに打ち勝った後の将来像も一緒に考えてあげると良いのではないかと思います。そして、治療や看病に際して「方針は本当にこれでよいか」という確認を気持ち多めにして、お互い納得しながら進める事が重要だと思います。闘病中の不安は後の後悔につながります。みづきと私も不安がある度にひとつひとつ丁寧に解消して行ったつもりです。

そしてもし、ガン患者が他界してしまった後、家族に襲ってくるのは深い悲嘆です。この悲嘆も軽視できないようで、免疫力の低下を招き、それによって体に不調をきたしたり死亡に繋がるケースもあります。ある統計によると、一番悪い結果となったのは35歳~44歳の妻を亡くした夫で、通常の4.5倍の死亡率となるらしいです。同年齢の夫を亡くした妻のケースは1.6倍の死亡率との事なので、その年齢の男性は特に健康に気を付けなければならないようです。ガンについて調べ始めた当初、”ガンは伝染する”というケースが意外と多い事を知りました。ガンの原因がウイルスなどではないので、物理的に伝染する筈も無いのですが、結果として夫婦の一方がガンになると、亡くなるかどうかという時期にもう一方の配偶者もガンになっていたという事が少なくはないようなのです。同じ食生活をしている事や看病のストレスのせいなのか詳細な原因は解りませんが不思議な現象だねとみづきと話していた事を思い出します。

みづきのガンの一番最初の告知はアメリカの病院です。大腸内視鏡検査を受けて結果を知らされました。それと同時に、癌専門医とメンタルケアの担当医の二人を紹介してもらう事になります。このように日本と米国のガン患者への対応は、スタートの時点で既に違っています。日本でも癌告知と同時にメンタルケアの専門家をセットにすると良いと思います。ガンの告知を平常心で受け入れる事ができる人がどれほどいるのでしょうか。むしろ皆無に近いと思います。患者本人と家族の両方がメンタルケアを告知と同時に且つ自動的に受けられるような仕組み作りができれば素晴らしいと思います。

最後に、私はみづきを妻にした事に誇りを持っています。仕事と家事を両立させ、結婚するまで料理した事無かったのに、いつの間にかレパートリーが増え、私の希望する料理を何でも美味しく作れるまでに上達していました。とにかく行動力があるので、私が立案担当でみづきが行動担当という役割分担で二人の力を合わせればこの世にできない事は何も無いかのような気持ちでした。今回、たまたまみづきが病気になりましたが、もしこの立場が逆であってもみづきは同様の事をしたでしょう。むしろ私以上の事をしてくれた可能性の方が高いとさえ思います。みづきは亡くなってしまいましたが、この闘病で得た事は数多くあります。それらを今後の人生に生かして行く事で、自分の中にみづきが生きている事になるのだと思います。

私も状況が落ち着いたら、みづきとの約束でもあるのですが、帰国の時点で中断した我々の夢の実現、とある事業分野での成功を収めるべく海外へ再度出る事になると思います。

今までご愛読&数多くのコメントをありがとうございました。ここに厚く御礼申し上げます。

なお、記事はこれで最後とさせて戴きますが、このブログの閉鎖はしませんのでご安心ください。

それでは皆さん、さようなら。

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著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!