先週の金曜日は焼き鳥屋での銀行の飲み会だったが、今日は大学のゼミの新年会だった(当然私は両方とも欠席)。ちょうど今頃宴たけなわかなと想像していた夜9時ごろ、ゼミ代表のA君が電話をくれた。そして今日出席した13人全員と電話で話すことができた。一人当たり2分ずつぐらい話したので(電話で2分はけっこう長い)、30分ぐらい電話で話していた。おかげでその間は痛みを忘れることができた。しかも最後にはA君の「せーのー」の掛け声とともに「みづきーーーがんばれーーー!!」というみんなからの応援の声。うれし涙どころか、大笑いだった(爆)。今日はA君の計らいのおかげでみんなと電話で話せて、少しの時間ではあったけど楽しいひと時だったし、最後には大笑いさせてもらって、おかげで私もバーチャル新年会を愉しむことができた。A君、そしてみんなありがとうね!!
実はこのゼミの新年会は、5年前(だったかな?)A君と私が中心となって始めたものだった。5年前といえば30代になったばかりだったが、ちょうど30代前半というのは卒業して10年経ち、仕事や家庭で一番忙しくなる時期で、ともすれば学生時代の仲間とは疎遠になりがちな時期である。実際当時はゼミの仲間ともあまり会わなくなっていた。そんなときちょうどA君と私とで新年会を企画したのだ。そして「継続は力なり」を目標として掲げ、どんなに集まる人数が少なくても必ず定期的に年に一度の新年会だけはやっていこうと誓ったのだ。おかげでしばらくゼミの会合に疎遠になっていた子も顔を出してくれるようになった。今回たまたま都合がつかずに出席できなくても、次回に出席してくれるようになった。5年間継続してきたおかげでようやく新年会も認知されるようになり、最近はA君や私が言い出さなくても、誰かが新年会やろうよと言ってくれるようになった。実際今日の幹事はS君が申し出てくれた。うれしかった。
そんな新年会なのでぜひとも今日は参加したかったのだが、残念ながら欠席となってしまい本当に残念だ。ぜひとも来年の新年会には参加したい。そしていつまでもこの年に一度の新年会を続けていきたいと思う。やはり学生時代の仲間というのは格別だ。なんだかよく分からないが、童心に戻れるというか、特別な思いというものが存在する。今はまだそんなに差はないが、そのうち社会的に偉くなる仲間も出てくるかもしれない。でもどんなに偉くなっても、学生時代の集まりの中では平等であり、名刺上の肩書きなど関係ない。そういうところが社会人になってからのおつきあいと違った部分であり、肩の力を抜いて思いっきり笑えるいいところなのだと思う。
こんなことを書いていたら、ふとサークルのほうが心配になってきた。私は国際関係のサークルとテニスのサークルに所属していたのだが、国際関係のサークルのほうはいつの日からか気がついたときには私が常に幹事をするようになっていた。誰かが結婚すると聞けば結婚祝いの会を、誰かが転勤するといえば壮行会を、いつの間にか私が仕切るようになっていた。なのに肝心の私が動けなくなってしまったものだから、最近疎遠になってしまっている。そう考えると、ゼミの新年会のように何か「定期的」に行うと集まりやすいなと思った。ガンを克服したらサークルのほうにも定期的に集まる何かを企画しよう。どうも定期的というと、忘年会とか新年会とかクリスマス会とか年末年始になりがちなので、閑散期である春か夏あたりに企画するとするか。やっぱり「暑気払い」あたりがいいかな(^^)。企画大好きな私としては、考えるだけでも楽しくなってきた。しかしそれを実現するにはガンを早く治さなくっちゃな!
実はこのゼミの新年会は、5年前(だったかな?)A君と私が中心となって始めたものだった。5年前といえば30代になったばかりだったが、ちょうど30代前半というのは卒業して10年経ち、仕事や家庭で一番忙しくなる時期で、ともすれば学生時代の仲間とは疎遠になりがちな時期である。実際当時はゼミの仲間ともあまり会わなくなっていた。そんなときちょうどA君と私とで新年会を企画したのだ。そして「継続は力なり」を目標として掲げ、どんなに集まる人数が少なくても必ず定期的に年に一度の新年会だけはやっていこうと誓ったのだ。おかげでしばらくゼミの会合に疎遠になっていた子も顔を出してくれるようになった。今回たまたま都合がつかずに出席できなくても、次回に出席してくれるようになった。5年間継続してきたおかげでようやく新年会も認知されるようになり、最近はA君や私が言い出さなくても、誰かが新年会やろうよと言ってくれるようになった。実際今日の幹事はS君が申し出てくれた。うれしかった。
そんな新年会なのでぜひとも今日は参加したかったのだが、残念ながら欠席となってしまい本当に残念だ。ぜひとも来年の新年会には参加したい。そしていつまでもこの年に一度の新年会を続けていきたいと思う。やはり学生時代の仲間というのは格別だ。なんだかよく分からないが、童心に戻れるというか、特別な思いというものが存在する。今はまだそんなに差はないが、そのうち社会的に偉くなる仲間も出てくるかもしれない。でもどんなに偉くなっても、学生時代の集まりの中では平等であり、名刺上の肩書きなど関係ない。そういうところが社会人になってからのおつきあいと違った部分であり、肩の力を抜いて思いっきり笑えるいいところなのだと思う。
こんなことを書いていたら、ふとサークルのほうが心配になってきた。私は国際関係のサークルとテニスのサークルに所属していたのだが、国際関係のサークルのほうはいつの日からか気がついたときには私が常に幹事をするようになっていた。誰かが結婚すると聞けば結婚祝いの会を、誰かが転勤するといえば壮行会を、いつの間にか私が仕切るようになっていた。なのに肝心の私が動けなくなってしまったものだから、最近疎遠になってしまっている。そう考えると、ゼミの新年会のように何か「定期的」に行うと集まりやすいなと思った。ガンを克服したらサークルのほうにも定期的に集まる何かを企画しよう。どうも定期的というと、忘年会とか新年会とかクリスマス会とか年末年始になりがちなので、閑散期である春か夏あたりに企画するとするか。やっぱり「暑気払い」あたりがいいかな(^^)。企画大好きな私としては、考えるだけでも楽しくなってきた。しかしそれを実現するにはガンを早く治さなくっちゃな!
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