今日は久しぶりに日中の青空の下を散歩した。最近は日中は調子が悪くダウンしているか、あるいは調子が良いときはブログを書くようにしていたので、夕方暗くなってからもそもそと動き出すことが多かった。今日も散歩に出るか、それとも調子が良いうちにブログを書いてしまおうか迷ったが、自分にとってどちらが大事かと考えたとき、やはり散歩のほうが大事だったので、散歩に出ることにした。でもそのおかげで、危うく今日もまたブログを書けない事態になるところであった。18時ぐらいから痛み出し、レスキューを飲んだが結局夕飯は食べられず、このままブログも書かないで寝てしまおうとベッドに横になっていたからだ。ところがうまく21時のボルタレンと22時のMSコンチンの効果が23時に出てきたので、気を取り直して起き上がって、こうしてブログを書くことができた。
今日の散歩はいつもの銀座方面ではなく、東京の大丸デパートに行った。祝日ということもあって東京駅までの途中の街(京橋や八丁堀付近)は静かだった。そしてまだ謹賀新年の挨拶の紙を入り口に張ってある商店がたくさんあった。そんな光景を見て、「ああ、今日で私の大好きなお正月モードも終わってしまうなあ」なんて思いながら散歩をしていた。
そう、実は私は日本のお正月が大好きなのである。実際には寒いのが大嫌いなので、時期的には一番嫌いな時期なのだが、お正月というイベントそのものは大好きなのである。イベントは他にもクリスマスやバレンタインデーやひな祭りや七夕などなど・・・いろいろあるが、やはりお正月がなんといっても一番だ。アメリカに住むようになってからは、ますますその気持ちに拍車がかかった。お正月だけは日本で過ごしたいと強く思っていた。アメリカ人にとってはクリスマスが日本のお正月のような扱いなので、1月1日だけはとりあえず休みになるが、31日まで働くし、年明けも2日から通常モードになる。だからアメリカでは日本のようなお正月気分を味わうことはできないのである。
私がお正月を好きな理由・・・。一つにはお正月というと我が家の場合、年に一度親戚が集まってわいわいと華やかだったからだ。最近は祖父母が全員他界してしまい求心力を失ってしまったので、いとこ同士あまり集まらなくなってしまったが、祖父母がいたときはみんなで集まっておせち料理を食べて楽しく過ごした。1月1日は父方の、3日は母方の親戚が集まるのが恒例であった。
サラリーマン時代は、案外年末年始のお客様への挨拶回りが好きだった。私は銀行で営業をやっていたのだが、年末にはお客様のところへ行って「今年も1年お世話になりました!」、年始には「また今年もよろしくお願いします!」って頭を下げて回る、その行動というか、雰囲気というか、なんとも説明が難しいのだが、営業マンの恒例行事として何十年も前から先輩たちがやってきたことを私もやれていることにかっこよさを感じていた。何がいったいかっこいいのか自分でも未だに分からないが、「私も企業戦士だ」みたいなそんな感情があったのではないかと思う。特にその当時は女性の営業職は我が銀行しかとっていなかったので(ここまで書いてしまうとどこの銀行だったか分かってしまうかな(^^))、男性と肩を並べて働くことにかっこよさを感じていたのかもしれない。
年始は我が支店の場合、近くのある有名なお寺に毎年営業部隊だけが祈願に行くのが恒例であった。そして我が銀行だけでなく、他行の支店も同じく祈願しに来ていた。よって普段ライバルであっても、この日だけは仲良くお寺の境内に上がって祈願するのである。そしてこの祈願には窓口業務の人たちは参加できない。銀行は通常営業をしているので、支店を閉めるわけには行かないからだ。そしてこの日だけは無礼講で、お寺からの帰り、近くの別な小さなお寺によってお酒(=日本酒)で乾杯!というのも我が営業部隊の恒例行事であった(^^)。仕事中にお酒が堂々と飲めるのもこの日だけであった。そんな特権みたいなものがあったのも、年始が好きだった理由である。こう考えると、サラリーマン時代は苦しいことも一杯あったけど、このように楽しいこともけっこうあったものだ。
そして現在お正月が好きな理由は、街が静かになるからである。オフィス街にあるマンションに住んでいるので、平日は人が多くうるさい。よって年末年始は長期間のんびりできるので、それでお正月が好きなのである。
そんな私の大好きなお正月も今日で終わり、とうとう明日からは日本中が通常モードに入る。また我が家の周辺もせわしくなる。
今日の散歩はいつもの銀座方面ではなく、東京の大丸デパートに行った。祝日ということもあって東京駅までの途中の街(京橋や八丁堀付近)は静かだった。そしてまだ謹賀新年の挨拶の紙を入り口に張ってある商店がたくさんあった。そんな光景を見て、「ああ、今日で私の大好きなお正月モードも終わってしまうなあ」なんて思いながら散歩をしていた。
そう、実は私は日本のお正月が大好きなのである。実際には寒いのが大嫌いなので、時期的には一番嫌いな時期なのだが、お正月というイベントそのものは大好きなのである。イベントは他にもクリスマスやバレンタインデーやひな祭りや七夕などなど・・・いろいろあるが、やはりお正月がなんといっても一番だ。アメリカに住むようになってからは、ますますその気持ちに拍車がかかった。お正月だけは日本で過ごしたいと強く思っていた。アメリカ人にとってはクリスマスが日本のお正月のような扱いなので、1月1日だけはとりあえず休みになるが、31日まで働くし、年明けも2日から通常モードになる。だからアメリカでは日本のようなお正月気分を味わうことはできないのである。
私がお正月を好きな理由・・・。一つにはお正月というと我が家の場合、年に一度親戚が集まってわいわいと華やかだったからだ。最近は祖父母が全員他界してしまい求心力を失ってしまったので、いとこ同士あまり集まらなくなってしまったが、祖父母がいたときはみんなで集まっておせち料理を食べて楽しく過ごした。1月1日は父方の、3日は母方の親戚が集まるのが恒例であった。
サラリーマン時代は、案外年末年始のお客様への挨拶回りが好きだった。私は銀行で営業をやっていたのだが、年末にはお客様のところへ行って「今年も1年お世話になりました!」、年始には「また今年もよろしくお願いします!」って頭を下げて回る、その行動というか、雰囲気というか、なんとも説明が難しいのだが、営業マンの恒例行事として何十年も前から先輩たちがやってきたことを私もやれていることにかっこよさを感じていた。何がいったいかっこいいのか自分でも未だに分からないが、「私も企業戦士だ」みたいなそんな感情があったのではないかと思う。特にその当時は女性の営業職は我が銀行しかとっていなかったので(ここまで書いてしまうとどこの銀行だったか分かってしまうかな(^^))、男性と肩を並べて働くことにかっこよさを感じていたのかもしれない。
年始は我が支店の場合、近くのある有名なお寺に毎年営業部隊だけが祈願に行くのが恒例であった。そして我が銀行だけでなく、他行の支店も同じく祈願しに来ていた。よって普段ライバルであっても、この日だけは仲良くお寺の境内に上がって祈願するのである。そしてこの祈願には窓口業務の人たちは参加できない。銀行は通常営業をしているので、支店を閉めるわけには行かないからだ。そしてこの日だけは無礼講で、お寺からの帰り、近くの別な小さなお寺によってお酒(=日本酒)で乾杯!というのも我が営業部隊の恒例行事であった(^^)。仕事中にお酒が堂々と飲めるのもこの日だけであった。そんな特権みたいなものがあったのも、年始が好きだった理由である。こう考えると、サラリーマン時代は苦しいことも一杯あったけど、このように楽しいこともけっこうあったものだ。
そして現在お正月が好きな理由は、街が静かになるからである。オフィス街にあるマンションに住んでいるので、平日は人が多くうるさい。よって年末年始は長期間のんびりできるので、それでお正月が好きなのである。
そんな私の大好きなお正月も今日で終わり、とうとう明日からは日本中が通常モードに入る。また我が家の周辺もせわしくなる。
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