西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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退院、そしてこれからが本当の闘病生活

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本日めでたく退院した。実際、私の場合はあまりめでたくはないのだが、まあとりあえずめでたいということにしておこう。20日ぶりの我が家。これからの闘病生活に若干不安はあるものの、気分は晴れやかだった。パラマウントベッドもちゃんと私の狭い部屋に収まっていた。午前中に退院したので、お昼ご飯を作って義母が待機してくれていた。本当にありがたいことだ。夜には両親が来てくれる。家族の暖かさ、ありがたさを痛感した。今までの私の場合、自分の生活・仕事で手一杯で、ちょっと家族をないがしろにしてきたところがあったので、このように家族への感謝の気持ちを持てたことはちょっとガンに感謝かな。

それにしても、ガンが発覚して以来、私の感情をグラフに表すとまさにジェットコースターだった。ガンと分かったときのものすごい落胆、その後大腸ガンはあまり怖くない病気だと分かって気分は上昇(主治医には「いつアメリカに帰るんですか?」とさえ言われ、アメリカの家を引き上げてきたことを後悔したほど(^^;)、しかし手術後末期ガンを宣告されまたまた急降下、さらに回復の見込みがなく延命治療しかないと言われどん底に、しかし代替療法・自然療法で根治の可能性があると分かりまたまた上昇、そして現在もこのポジティブなマインドは保たれている。本当に自分でもびっくりする。どうしてここまで前向きでいられるのであろう。というか、自分のことをガン患者だという意識がほとんどない。ましてや末期ガンの悲惨な状況にあるなどという感覚は皆無に等しい。それではどういう感覚かというと、なんらかの病気でしばらく不便な生活を強いられるけど、3年ぐらいすればかなり元の生活に近づけるからそれまでの辛抱、辛抱・・・という感じだ。よってむしろ人に自分の病気の説明をしているときに、その人の私を見る悲しそうな目で「ああ、私は末期ガン患者なんだった」と気がつくという始末だ。

このようにしてくれたのも、もちろん主人だ。入院中にたくさんの本や資料を持ってきてくれ、絶対にあきらめないでがんばれば必ず治る!という意識を植え付けてくれたのだ。ここでの重要なポイントは、ガン関係の本を読む際、闘病の末死んでしまった人の手記は絶対に読まないことだ。だからそういう本は一切読んでない。私が読んだ本はすべて、成功の体験記ばかりだ。食事療法やその他の療法でガンを克服し、余命3ヶ月の末期ガンから見事完全復活、20年も生き続けている人の話などだ。そういう本ばかり読んでいるから、私もその人たちの仲間入りできる!と感じることができるのだ。

しかし主人はこのようにして私の気持ちを盛り上げる一方で「だからといってガンを甘く見てはいけないよ」と私に警笛を鳴らした。あまりにも過信しすぎると危険だからだ。現実、ガンは怖い病気なのだし、ましてや私の場合末期ガンで余命1年という状況に変わりはないのだから。落ち込む必要はないが甘く見てはいけない・・・この辺のマインドコントロールがなかなか難しいところだが、でもとにかくガン克服の第一歩は「絶対治してみせる!」という本人の意気込みなので、これだけは失わずにがんばっていかなくっちゃ。とにかく退院して終わりではなく、これからが本当の闘病生活の始まりなのだから。

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著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!