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がんセンターから聖路加へバトンタッチ

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国立がんセンターの主治医から入院による抗ガン剤投与をやりたいなら他の病院を探せと言われたので、早速病院探しが始まった。ネットで調べると、やはり最近の主流はポートを埋め込む方法のようなので、抗ガン剤のためだけに入院させてくれる病院を探すのは困難を極めると思った。しかし思いがけずすぐに見つかった。それもなんと私にとって、最も近く最高の病院。それが聖路加病院だった。

3月22日に電話して、とりあえず24日の外来に来るよう言われた。主治医は、外科部長だった。でもその先生がとてもやさしくていい先生で、なんと28日に入院させてもらえることになったのである。もちろん本来はそんなに早くに入院させてもらえないようだが、やはり先生も私の病状及び年齢からいって、一刻も早い抗ガン剤投与が必要と判断したようである。こういうときに、普通の病院だといいと思った。なぜならがんセンターだと、どの患者もガンなので、ガンだからといって特別扱いはされない。でも普通の病院だと、やはりガンだと重要視されるので、少し融通を利かせてもらえるのだ。

というわけで、私の抗ガン剤投与の日があっという間に決定され、28日から2泊3日で入院することになった。うれしいような怖いような複雑な気持ちだ。でもとにかく一度は経験してみなければならない。聖路加は全室個室なので、個室料金がかかるのが難点だ。ちなみに私の部屋は1泊4万円だから3日で12万円。下から3番目のグレードにした。というのも、聖路加としたことが、個室にもかかわらずトイレがウォッシュレットになっていないのだ。どうしてもこれだけは譲れなかったので、しょうがないから3番目のグレードにするしかなかった。でもこの判断はまさに大正解だった。それについては後日詳しく書くことにする。それとこれも実際入院してあとで分かったのだが、なんと私のグレードの部屋にはおやつがついていた。3時になっていきなり「失礼しまーす。」と看護師さんが入ってきたので何かと思ったら、おやつだった。最初の日はおまんじゅうとお茶、2日目はスイートポテトと紅茶だった。これにもびっくりだった(笑)。とにかくこのようにして、私の病院が国立がんセンター中央病院から聖路加国際病院にバトンタッチされた。

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(54) とうとう抗ガン剤投与開始!
(53) 痛みのメカニズム
(55) ガン仲間のお見舞いでがんセンターへ
(56) またもやマッサージに救われた
(57) 口内炎が痛い
(58) 下血が心配

著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!