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主人が外に部屋を借りた

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ふふふ、今日はドキッとさせるタイトルであろう。みなさんによからぬ想像をしてもらおうと思い、タイトルで遊んでみた(^^)。でもこれはうそでもなんでもなく、事実は事実なのである。本当に主人は外に部屋を借りたのだ。まさか主人が部屋探しをしているとは、私も考えもしなかった。そしてなんと私に知らされたのは、不動産屋から鍵を渡される前日であった。つまりなんの相談もなく事後報告だったのである。恐らく途中で私に言うと、間違いなく開口一番文句を言われ、なぜ部屋が必要なのかをいろいろ説明した結果ようやく同意を得られるというパターンが目に見えたので、どうせ結果同じなのであれば文句を言われるだけ損と考えたのだろう。もうどうしようもないところまでもっていってから私に報告するのだから、主人も心得たものだ(^^)。

でも今回この事実を聞いたとき、私自身も不思議に思うほど素直に事実を受け入れることができた。いつもであればまさに開口一番文句を言っていたであろう。みなさんもよくあるであろう。とにかく聞いた瞬間に文句が口から出てしまっていることって。そして後で理由を聞いてみると反対するほどのものでもなかったということって。しかし今回は聞いた瞬間に、主人がいろいろ考えた末出した結論なのだから、恐らく反対するものではないだろうという考えがパッと出てきたのである。ゆえに文句を言うこともなく、「へー、そうなんだー」と単に事実を聞き入れるだけのアクションで終わったのだった。

ところで誤解しないでいただきたいのは、今日この話題を持ち出したのは、主人に対する文句を言いたいからでも、部屋を借りたことを憂いているからでもなく、むしろこの状況をとても喜ばしく思っており、私のガン復活の記録における重要な変化としても記録しておく必要があると思ったからである。

ちなみに主人が部屋を借りたのは、仕事に打ち込むためである。主人の仕事はIT関係のクリエイティブな仕事なので、集中できる環境が必要だ。主人曰く、プログラミングというのは、ある意味「芸術家」とイコールの仕事なのだそうだ。私はそういう仕事はしたことがないのでその気持ちはあまり分からないが、開発に乗り出したら、食事をとることを後回しにしてでも一気に仕上げてしまいたいらしい。だからいちいち「ご飯ができましたよ」と言われて開発が中断することがものすごく煩わしいことらしい。私の考えでは、どうせトイレに行ったりして中断することがあるのだから、食事をする時間ぐらいとれるのではないかと思うのだが、そうではないようだ(^^;)。

そういうことから、主人は誰にも邪魔されず開発に集中できる空間を前から欲しがっていた。もちろん我が家にも主人専用の部屋はあるが、以上の理由から同じ屋根の下ではどうしても生活のリズムを合わせないといけないので、いくら専用の部屋があっても主人にとってはあまり意味がないのだ。だから本気で集中するためには別棟にする必要があった。というわけで、我が家から徒歩2分のところにある1ルームマンションを借りることにしたのだ。

なぜ私が今回のことを喜ばしく思っているかというと、ようやく主人が好きな仕事に集中できるような環境を作ってあげられたことだ。私がガンになってからのこの10ヶ月間、主人は仕事を全面的にストップして私の看病にほぼすべての時間を費やしてくれた。しかし同時に主人の大好きな開発ができなくなったことで、主人のストレスも一時期最高潮に達し、かなり精神的に不安定になっていた時期もあった。最近ではそれを乗り越えて精神的には安定して過ごしていたが、やはり常に「仕事がしたい」という気持ちはあったと思う。しかし今までの私の状況では、申し訳ないが主人を解放してあげることは不可能であった。それが今回ようやくできるようになったのである。つまり主人がずっと私のそばにいなくても大丈夫になった、要はそれだけ私の体調がよくなってきた、ということを意味するのである。よって私は今回主人が仕事場を借りた事実は、私の復活の記録の上でも重要な通過地点として記録しておくべきだと思ったのである。

ところで主人が部屋を借りて一つだけ私の心配のタネが増えた(^^;)。実際には金銭的な負担増もあるので2つなのだが、まあ金銭的にはなんとかなるとして、もう一つの心配のタネは主人の食事、ひいては健康のことである。たったの徒歩2分の距離なのだが、上にも書いたように開発に集中するためにそもそも借りたのだから、食事の時間に我が家へ戻ってくるということはしないわけである(ちなみに寝起きは自宅でしているので朝食は自宅。あくまでも日中から夜にかけての仕事だけに別宅を使用している)。だからといってさすがに飲まず食わずで仕事するわけではないので、そうなると出前をとったり、パンなどの軽食で済ませたりするようになる。たまにであれば私も気にしないのだが、これから何年続くか分からないが長期に渡ってこのような生活を送ることになるわけで、それなのに毎日そんな変な食事では健康を害してしまう。やはり妻としてはそれがどうしても見過ごせないのである。ましてや食事療法をやっているぐらい食には人一倍うるさいので、精白されたパンを食べているだけでも気になってしょうがないのに、さらに肉中心の添加物だらけの弁当を食べられた日には黙っているわけにはいかないであろう(^^;)。

というわけで、結局私が昼と夜の食事を届けることになった。別に主人にそうしろと言われたわけではない。むしろ主人は私には負担をかけたくないので、そんなことはしなくていいと言う。でも私がしなかったら結局出前やコンビニの食事になってしまうので、「私が」いやなのだ。もちろん体調がものすごく悪ければ届けられないのでそういうときは出前をとってもらうことになるであろうが、多少お尻が痛いぐらいでは届けることになるので(実際さっき届けたときもお尻が痛かった)自分でもよくやるなあと自分で自分を褒めてあげているが、まあ主人にはお世話になっているのでそのぐらいのことはしてあげようと思う。それに主人にはたーんと稼いでもらわないと困るしね!?(笑)

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著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!