西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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食と健康に関してもっと真剣になってもらいたい

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近頃私は「食の重要性を世の人に伝えていくこと」がガンになった私の使命であると感じている。よって事あるごとにこのブログで食に関する話題を取り上げているのだが、それを人々に分かってもらうことの難しさも同時に感じている。いや実際には、食の重要性は分かってもらえるのだが、玄米菜食を実践するほど真剣になってもらうのは難しいということである。その原因の一つは私にあると思う。つまり私の書き方/伝え方がいけないのだ。表面的にいくら食が重要だと連呼したところで、なぜ重要なのか、なぜ肉や精白食品は毒なのかということを具体的に説明していないからである。よく考えたら、私は何冊もそういう本を読んだからここまで真剣になれたのであり、私もただ誰かに「食生活を正さないと病気になるよ」と言われただけであったら、「そうだよね、食生活を見直さないとね」ぐらいにしか思わなかったであろう。もちろん私が末期がんという究極の状況に追い込まれたことも、私に真剣に考えさせた要因の一つにはなっているが、どちらかというとそれは決定された事項を忠実に実行する真剣さを与えてくれたのであり、私や主人の食に対する意識や考えを変えたのはやはり本である。食事と病気の関係に関する本は今までで10冊近く読んだが、最初の1冊目を読んだときは「へえー、食事で病気を治せるのかあ・・・」程度であった。しかし1冊読むごとに食の重要性を強く意識するようになり、すべてを読み終えた頃には完全に玄米菜食信奉者と化していた・・・(^^)。よって本を読むことが理解するための一番の近道だし、それに素人の私が書いたブログでは説得力に欠けると思うので、推奨本を今後いくつかここで紹介するつもりだ。今すぐに紹介したいのだが、現時点ではまだどの本を推奨すべきか吟味できていないので、2、3冊に絞れたところで後日紹介しようと思う。また今日は長くなるので後日にさせてもらうが、具体的になぜ良い食材を使った食事が重要なのか/なぜ肉を食べたら病気になるのか等についても、今後時間があるときに説明をしていきたいと思う。

「良い食材」という言葉が出てきたが、実は食生活の改善をするにあたり、これがネックになっていることが多い。実は今日この話を記事にしたのは、私の弟のある発言がきっかけとなった。弟は私のためにある自然食品店で全粒粉のパンを買ってきてくれたのだが、「パンがこんなに高いとは思わなかった。レジに持っていってびっくりしたよ。我が家にも買おうと思ったけどやめたよ・・・」と母に言っていたそうだ。それを聞いて私はそれではいけないと思った。いいものだと分かっているなら高いからといってあきらめるのではなく、自分たちのために買うようでないとだめだと思った。恐らくこれを読んだ人は「みづきのところはお金に余裕があるから・・・」と思うであろう。実は一瞬私自身もそう思ったのだが、実際はそうではないということに気がついた。つまり買う人と買わない人の差は、金銭の差ではなく、食に対する真剣度の差であるということだ。なぜならこれはなにも高級車を買う買わないの話をしているのではなく、食料品を買う買わないの話だからである。

確かに有機野菜や良い食材・調味料を買おうとすると常に値段は3倍する。3倍値段が高いというとものすごく高い感じがするが、野菜はもともとが安いので実際には100円のものが3倍であったとしても200円の差でしかなく、高い調味料の場合でもせいぜい1000円ぐらいの差である。もちろん日々のことであるので、ただでさえきつい家計の中でやりくりする人にとってこの差は大きいと思う。でも考えてもらいたい。みんな子供の為に一生懸命塾に通わせ、お習い事をやらせたりしているではないか。あるいは身体にいいと聞けば多少高くても買っているものもあるだろう。例えば私の弟の家族の場合、3歳の子供をプールに通わせている。恐らく月に数千円の月謝を払っているであろう。またアレルギーもちなので、子供の為に身体にいいと言われている高いお茶を買って飲ませているようである。でも家族旅行に行けなくなるからといって、プールをやめさせるだろうか?お茶を買うのをあきらめるだろうか?もちろん答えはNOである。なぜなら旅行に行くことよりも、子供の健康を考えればプールやお茶のほうが大事だからである。そしてそういったものに優先にお金を使い、その上で金銭に余裕があれば余暇のレジャーを楽しめばよい。

このようにどの人も、家族のため/子供のためになると思えば、ものすごく高額で物理的に無理な場合を除き、なんとかやりくりしてその費用を捻出しているはずだ。それはなぜなら、それらが本当にその人のためになると真剣に思っているからだ。つまり本当にいいと思うもの/必要だと思うものには惜しみなくお金を投じているのである。それなのになぜ急に数百円高いパンは買えなくなってしまうのか。やはり弟にとってそのパンはそれだけの価値がないからである。スーパーで買う食パンよりは多少いいのだろうが、500円も出して買うようなパンではないと思っているのであろう。でも私はぜひその考えを改めてもらいたいと思う。なぜなら高いパンを買うことは高いお茶を買うのと同じ意味だからだ。お茶に価値を見出しているのであれば、ぜひ良い材料を使ったパンにも価値を見出して欲しい。そして何よりも優先すべきは健康であることを忘れないで欲しい。だから私は、良い食材を買うことは、弟家族も含めてほとんどの家庭では物理的に無理なことではないので、買わないということは真剣さが足りないだけのことだと思っている。そして真剣になれない理由は単に認識不足からきているので、私がその認識不足を解消しようと努力しているのである。

最後に、良い食材はどうしても値段が高いということを受け入れなくてはならない。今となっては私も「良い食材の調達」を最優先にしているので、値段が高いことにも納得しているし、他のことを我慢してでも食費にお金を回しているが、やはり私自身もまだまだ真剣さが足りない時期があった。それは同じくパンを買ったときのことである。このブログにも書いたが、去年友人宅に訪問する際にくるみのパンの食べ比べをしようと思って、10箇所の有名店のくるみのパンを買いに行った。どのお店のもほぼ同じ大きさだったので値段もほぼ同じだったのだが、唯一アンデルセンだけは破格に値段が高かった。理由はアンデルセンは有機の小麦を使うなど、かなり良い材料を使用していたからであった。もちろんどのお店も有名店なのでそれなりにこだわった材料は使っている。しかし有機ではない。よって有機となると急に値段が跳ね上がるのだが、当時の私は有機ということに今ほどの価値を見出していなかったため、この値段の差に納得できなかった。よってアンデルセンのパンではなく、他のお店のそこそこ良いパンを買っていた。しかしその後の勉強で、有機であることは考えている以上に重要だということを知ったので、それからはアンデルセンの有機材料を使ったパンを買うようになり、値段の差はまったく意に介さないようになった。

かなりの長文になってしまったので、言いたいことが埋もれてしまったのではないかと心配だ。よって私が今日言いたかったことをまとめると、①真剣に健康を考えれば、食事療法とまではいかなくても、良い食材を買うことぐらいはできるはずだということ、②よってそれをしていない人は真剣さが足りないのだということ(そしてそれは認識不足が原因)、③そして「良い食材は高い」という事実に慣れて受け入れて欲しいということである。とにかく私は心からみなさんの健康と幸せを祈っている。

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著者プロフィール

みづき
1970年東京生まれ、女性。既婚。子供はなし。米国シリコンバレーのIT企業のCFO、および日本のコンサルティング企業の役員としてそれぞれ在職中。2006年1月、米国西海岸(シリコンバレー)在住中に癌を告知され、急遽帰国しました。現在は東京・新富町(築地の近く)の自宅にて末期直腸癌(ステージⅣ)で闘病中です。
この写真は、2005年12月8日、サンフランシスコのお世話になっている弁護士事務所のクリスマスパーティに出席したときのもの。これが最後の飲み会でした・・・。お酒をこよなく愛した私も、お正月以来一滴も口にしていません・・・。また飲める日が来ると信じてがんばります!