西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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完全に麻薬にやられ起き上がれなかった週末でした へのコメント

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コメント

さざなみ
2008-06-09 16:52:47
ブログを書く、すごいことをやってのけました!!!今日はゆっくりお休みくださいね。

近況をことこまかに教えてくださり、ありがとうございます。

やすちん
2008-06-09 21:29:37
71歳です。肺気腫で寿命が限られています。私の目標は「目標を低く」です。だんだん息が苦しくなり、年齢がそれに追い打ちをかけます。一年先や一ヶ月先の目標はたてません。「今日一日」で今を大切に生きるだけです。とはいうものの、目標を低く置くことは、人生の目標を低くすることとイコールであり、生きる「価値」を低くすることともイコールであり、レーゾンデートルが限りなくゼロに近づくことでもあり、寂しい限りです。古希を過ぎた私ですらそうですから、1970年生まれの若い・・・・・・・目標を低くすることは何と申して良いか、言葉を失います。

yoshi
2008-06-09 23:30:43
最近の薬は良くなってきているとはいえ、一日のほとんどを眠い状態でいるのは大変ですね。

でも、この状況でブログを更新している、みずきさんはさすがです。いつもの事ながら、自分も頑張らなくっちゃと思います。

コスモス
2008-06-10 00:50:44
低くも高くも目標を持つという意識だけでも素晴らしいと思いました。さすがです。

みづきさんのお部屋の窓からは何が見えますか?体力が復活したら初夏の風に当たって欲しいです。[絵文字:v-283]

suzuki
2008-06-10 08:49:45
おいしそうなアイスですね~。[絵文字:v-10]

頑張りやのみづきさんの場合、「頑張らない努力」も、時には必要なのかもしれませんね。

リハビリの先生、いいことおっしゃいますね。

saorin
2008-06-10 08:49:45
ちょっとした一言に救われる時ってたくさんありますよね。

目標を低く、いえ、無理をしなくていいと思うのです。ご自分のペースでゆっくり進んで少しずついろんなことを乗り越えていってくださいね。

今この瞬間を生きる、みんなに与えられた平等の時間。みづきさんが心地良く過ごせるようにずっとずっとお祈りしています。

まあちゃん
2008-06-10 10:11:18
>いくら寝ても寝ても眠くて・・・というか、眠いのではなくて目をつむっていると単純に寝てしまうんですね・・・。そして不思議なのが、それだけ寝てもいくらでも眠れるんです。

皆さんそうみたいですね。私も最近オキシコンチンを飲み始めましたが、僅か 20mg/日なのに眠いです。

ソファに座って新聞を読んでいると、いつの間にか胸の上に新聞を置いて眠っているので、新聞を読むだけで何時間もかかります。目を瞑ったら即眠っていますね。

一日の大半を眠って過ごすと、筋肉は落ちてくると思うし、これではいけないという気もしますが、痛みから開放された時間を過ごせるんだからいいじゃないか、という気もします。

余り気にしないほうが精神的ストレスにならなくていいのではないでしょうか。

けい
2008-06-11 00:36:44
更新ありがとうございます。

あなたの美意識が素敵です。

文章が、私にたくさんのものを

与えてくれます。

tosi
2008-06-11 04:00:18
言葉 って 大切ですね

勇気つけられる時もあれば、傷つけてしまうこともある。 何気ない一言

薫子
2008-06-11 17:30:35
みづきさん、自然に任せるのが一番いいんじゃないでしょうか?

人間、誰でも眠い時は眠いし、起きたい時は起きてるし^^

それでどうでしょう?私もしかしてズレてること言ってるかもしれないけど。

毎回、ブログ有難うです。

亜希子
2008-06-11 17:33:25
[絵文字:v-22]今日もみづきさんの言葉を拝読できてとってもうれしかったです。

今のみづきさんの状況でブログを綴るというのはとってもスゴイことだ☆と、ブログの言葉からひしひし伝わってきます。

そして、ブログの言葉からは生きる力がめいいぱい伝わってきます。

わたしも頑張らなくちゃなって思います。

2008-06-12 18:32:54
昨日読んだ本に、こんな言葉がありました。

「人生は目的ではなくて過程です。

そのプロセスを楽しみましょう」

プロセスを楽しむとは言っても、大変ですけど、

でもみづきさんのプロセスであるブログに

考えさせられ、感動しています。。。

白ヤギ
2008-06-12 18:59:41
みずきさんはじめまして、S状結腸癌の白ヤギです。日記を読ませていただきました。病気を治して復活するぞ~!!の気持ち、強く、つよく、伝わってきました。お医者さんは神様ではありません、余命と言っても、たとえば一年という意味は「最低一年は大丈夫、医者として太鼓判を押します、でもそれ以上は神でない私にはわからないのです。」と私の主治医は言います。奇跡も起きるからその言葉があります。今を大切に生きているみずきさんに感動しました。ありがとう。人の生きる意味はそういうことではないかなと私は思っています。

aki
2008-06-12 19:32:59
これだけの長文、打つだけで相当疲れますよ…?!しかも自分で推敲しながら…すごいことだと思います。

私は末期がんの母の看病をしています。日々疲れ気味ですが、おいしそうなアイスクリームの写真を見せていただいて、うちも何かリッチなのを買ってやろう!と思いました。こういうのって大事ですよね。思い出させていただきありがとうございました。

さやか
2008-06-14 08:17:47
2日前、夢にみづきさんが出てきました。

お会いした事ないのに・・・不思議な夢でした。私は普段目覚めるとすぐ忘れてしまうのですが、すべてが克明に思い出されます。

私がみづきさんに会いたくなってお見舞いに行くのですが、夢の中のみづきさんはとてもきれいで優しかった。

Noritan
2008-06-15 07:08:01
生きることは、表現すること。

この地上という与えられた大舞台の上で、

事業をするひと、

絵を描くひと、

音楽を奏でるひと。

どんな風にその"生"を表現してもかまわない。

演技の大小は問題ではない。

躍動的に動き回ることが出来なくても、

静かに佇んでいるだけでも良い。

やさしい瞬きの一つは、この演目の大切な演技の一つ。

おだやかな呼吸の一つが、この演目の大切な表現の一部だ。

激しい痛みへの叫びも、絶望の涙もすべて、

あなたという表現の、かけがえのない大切な一部分だ。

演技の大小など問題ではない。

同じ舞台に立つ我々は、

あなたのその瞬き一つに心を奮わし、

また自らの役を演じ出す。

そうして、

60億の我々と、

この同じ大舞台に立つ命あるもの全てが、

あなたと繋がっている。

力の限りの、あなたの名演が続くことを

心からお祈りしている。

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