西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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みなさんすごいです!おかげでさらにもう1m登れました\(^^)/ へのコメント

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コメント

佐藤
2007-07-14 02:15:02
みづきさん、国境無き医師団への寄付、始められたということで、良かったですね。

あそこは、団体の中でもかなり信頼のおける団体だと思います。(ちなみに日本ユニセフ協会などは、悪い噂がネット上では立ってます。例えば、これ。http://tanukur.blog8.fc2.com/blog-entry-281.html)

今、『マザー・テレサの真実』(五十嵐薫著 PHP)を読んでいます。

最近の話題に関係があるので一部、転載します。

P52 最大の貧困とは

 マザー・テレサはかつて日本を訪れたときに、経済大国である日本の持っている最大の貧困を指摘した。

「日本にもたくさんの貧しい人たちがいます。それは、自分なんて必要とされていないと思っている人達のことです」

 この世で最も貧しいことは、飢えて食べられないことではなく、社会から棄てられ、自分なんてこの世に生まれてくる必要がない人間であると思うことである。その孤独感こそが最大の貧困であると、マザー・テレサは言っている。

 1988年10月18日、デリーにおいて、ハンセン病のことについて語った次のマザー・テレサの講演を聞くと、貧困とは何かよく理解できる。

 私たちは世界中でたくさんのハンセン病の人たちをお世話しています。クリスマスにはいつも彼らのために、特別のごちそうをよういするのですが、あるとき手足が全くきのうしなくなった一人のハンセン病の病人が私のそばに座っていました。

 私は彼に言いました。

「ハンセン病はけっして天罰なんかではない」

 すると彼は私のサリーの裾を引っ張って、「もう一度言ってほしい」とせがむのです。私はそのとき、彼の本心に触れたような気がしました。彼には私の言葉が「自分は愛されている。必要とされている」と聞こえたのです。あのハンセン病の兄弟たちが、私たちに求めているのはこのことなのです。

 もちろん、彼らに薬をあげることも必要なことです。しかしあたりまえのことですが、最もすばらしい行為は、必要とされている、愛されている、と感じさせてあげることです。(以上、転載終了)

次は、1992年12月21日、コルカタでボランティアをしている人々へ語った話からの抜粋です。

P59-60

もし私が道ばたでパンに飢えている子を見つけたなら、パンを与えてしまえばそれで終わります。しかし、恐ろしいほどの孤独で心の傷ついた人の場合、とても難しいのです。だから私達は、どんな祈りや助けを与えればよいのかを知らなくてはいけません。

 それは家庭から始まるものなのです。あなたの家庭を、神のために、すばらしいものとしてください。愛と平和、一致、そして喜び、ほんの十分間共に祈るだけでもいいのです。それは神が望まれることです。

 いつも一緒にいなさい。たとえ誤解があったとしても、共にいなさい。赦し、忘れてあげなさい。そうすれば神の愛を心から感じることでしょう。(以上、転載終了)

P90

(前略)なぜなら、いっさいのボランディア、奉仕の原点は、「自分は愛されている、生かされている」という確信からスタートするからにほかならないからである。

 マザー・テレサは「日々の祈りの中で、まずイエス・キリストがあなたに対して" I love you. "と語りかけてる声を聞きなさい」と言われる。これは「愛」を学ぶことの原点である。なぜなら、人は自分が愛されていることも知らないで、人を愛することはできないからである。(以上、転載終了)

オリビア・ハッセーが熱演している映画『マザー・テレサ』もDVDで出ています。できれば、ディレクターカット版(長い方)を見てみてください。

私はオープニングから涙がでてきてしまいました。

マリア
2007-07-14 10:40:16
全然関係ない話題で失礼します。

最初から全部読んで、やっとここまで

たどり着きました。

どんなに一生懸命に一日一日を大切にして

復活に向けて前向きに頑張っておられるか

貴女の周りの人達への愛、ご家族や

周りの人達の貴女に対する愛の深さに

感激しております。

最近はご自身のご病状より、お考えを

一生懸命に書かれていますね。

貴女の真剣な物事に対する考え方に

敬意を表して、他の人もご自身の意見を

述べられていると存じます。

blogの上ですが、貴女に出会えて良かったと

思います。 

素敵に一日一日を積み重ねられて

‘気が付いてみたら、あっという間に次のお誕生日が来た’っていう事を繰り返して年月を積み重ねて行けるようにと祈っております。

2007-07-14 11:45:32
佐藤さんのP59~60の抜粋コメ読んで、最近(ちょっと前?)ネット上で流行った「鏡の法則」というのを思い出しました。

子供が学校でいじめに会っているのを悩んでいるお母さんが、自分のお父さんと旦那さんに感謝したら子供がいじめられなくなったという話。

まずは家族を、隣人を愛せということですね。

みんながそうすることで、遠い世界で起きている紛争や貧困もなくなるという法則です。

ケンシロウ
2007-07-14 19:37:27
佐藤さん、助かりましたよ。

ちょうど、「私は誰からも必要とされてない」って悩んでる方がいて、佐藤さんのコメントを見てもらうと、感動してさっそく本を買ってくると涙ながらに連絡くれました。その方は、ご病気でもないし、仕事も税理士さん。。。でも、死にたくなるほど悩んでたんです。自分も、そうか。。。こういうことがこんなにも辛いのかって改めて考えさせられました。

みづきさんのブログのおかげです。

ありがとうございます。

しふりん
2007-07-14 21:20:03
こんにちは。私は、上のマリアさんにまったく同意します。

さてこの議論、あまり水をかけたくはないのですが、みづきさんにもうひとつ、私の感じたことを聞いてもらえないかと思っています。私自身、みづきさんのコメントが、自分を見直すきっかけになっているのです。

 私には重度の障害を持っている子があります。私が一家の生計を支えていることもあり、家庭の事情で、母でありながら仕事をやめることができません。仕事をする間子どもは誰が見てくれるのか?というと、まずは自立支援法で定められた介護サービスを利用しています。私はそのサービスを目一杯使っています。つまり、国の税金、みなさまが福祉のために収めてくれたお金をありがたく受け取っています。しかしそのサービスの支給時間だけでは仕事の時間には足りません。つまり、障害児の面倒は家族の誰か(普通母親です)が見ることが前提で、その障害児を抱えるために障害児を置いて働きに出なければならないという状況は存在しないと考える支援の体系だからです。したがって、残りの時間を補う金額は結局私が自分で負担することになり、時間的にだけでなく経済的にも、どん底とはいいませんが、相当に深刻な状況です。特に、時間的にはもう自分の趣味とかやりたいことをやるなどといっている場合ではありません。外目にはたぶん、なりふりかまわず・・・という生活です(前回、アフリカに2年住んでいたと書いたのですが、それは独身時代の話なのです)。

 そんな私でも、町内会で障害者のための募金を・・・と求められます。この募金、いったいどこにいくのかなあ。福祉の恩恵で生活している私が募金するなんて、おかしな話だよ。そう思えてならず、しばらくの間私は募金もほとんどしておりません。私の姉はかなり慈善に熱心な人で、フォスターピアレンツになったり、教会活動で在日フィリピン人を支援したりしているのですが、そんなえらい姉を見ても、「そのお金の一部でも私にもらえればどれだけ楽になるだろう・・・」なんて、いじわるなことを考えたりしたこともあるのです。

 もしかしたら赤い羽根募金の一部などが、回りまわって私の役に立っているかもしれません。たしかに税金のサービスだって、使わせていただいています。なのに、目の前にあるお金が、もらえればいいのにな・・・とうらやましく思えてしまう小さな私です。

 本当のことを言えば、私は目の前にほんのちょっとのお金がどうしても必要というほど困っているわけではありません。ぜんぜん、大丈夫です。ただ単に、自分より恵まれている人がうらやましくなってしまうだけなのです。目先のお金をもらったからといって、何も変わらないのです。たしかにマザーテレサのような方が自分を励ましてくれることのほうがよっぽど必要です。

 一方では、そうした支援も受けられずにお金を使い果たして、もうどうしようもなくなって餓えて死んでしまう人は、日本にすらもいるようです。お金というのはそういうかたがたのためにこそ、あるものですよね。

 赤い羽根募金に代表される一般的な募金は、成果を本当に困っている人を地獄から救い上げるために使われるようなシステムになっていなくて、「なくても一応大丈夫」な人たちに、ほぼ気づかれない程度のまんべんなく薄く恩恵を与える(たとえば公共施設に車椅子が寄付されるとか)システムになっていることが、募金をする側にも、救われない人々にも、苛立ちを感じさせるのでしょう。

(すべての募金がそうだとはいいません)

ごめんなさい。つらつらと考えたことでした。

そんな我が家ですが、例の「もしも地球が100人の村だったら」の番組のときには、洗濯物をたたみながら見ていたのですが、ついその手が止まり募金の電話をしてしまいました。やっぱり目の前にあの映像を見ては、本能的に心が動かされます。心の矛盾といっても、いいのかもしれませんが。

ケンシロウ
2007-07-14 21:23:24
今、その方からメール受けました。なんともう買ってきて今読んでるそうです。感動に包まれてるとのことで、すごい元気になってるんです。良かった~感謝感謝です。

みづき
2007-07-14 22:40:16
佐藤さんはこのブログにおいてマザーテレサのような存在ですね(^^)。私だけでなく、多くの方が佐藤さんのコメントによって救われています。そしてまた今日一人佐藤さんによって救われた人が出現したのはとても喜ばしいことです。私はただ場所を提供しただけですが、それでもケンシロウさんの友人が立ち直るきっかけの一部分でもお役に立てたことはとてもうれしいです。

かんな
2007-07-15 02:41:59
なるほど、幼稚だったのは考え方ではなく、文章力でしたか。

他にも正しく理解されていない方がいらっしゃったようなので、私の読解力のせいだけではないようですね。

ぴぃさん、私が「心が貧しい」と書いたことを受けて書かれたのに、妙な人に暴言を吐かれるハメになってしまい、申し訳ございません。

「読み手の気持ちをザラつかせる」という表現、まさにそのとおりでした。

そういう感情は、常に抱いていました。

なので、多少辛らつな言い様になっていたのかもしれませんが、赤の他人に「コミュニケーション障害」呼ばわりされるいわれはありません。

ともさん、あなたの冒涜は一生忘れません。

ここにくると、どういうわけか心が荒んできます。もう来るのは止めます。

(笑)
2007-07-15 06:15:04
>ここにくると、どういうわけか心が荒んできます。もう来るのは止めます。

あらあら。面白い方ですね。

勝手にどうぞ(笑)

来ないならいちいち表明しなくてもいいのに(笑)

自己顕示欲が強く他者からの批判を一切許せず

一方的に被害者面…。

涙目で逃走ってこういうことを言うのですねぇ。

おめでたいことw

2007-07-15 07:29:52
(笑)さん、あなたこそよっぽど心が荒んでるように見えますよ。

「被害者面」とか頭の中はお下品な言葉でいっぱいなのでしょうが、折角の良い話も台無しになってしまいますよ。

IKKKOどんだけぇ~
2007-07-15 08:48:46
捨てゼリフさえ吐かなければここまで印象が悪くなることがなかったのに残念ですね。

まるで初心者のようですね。

「冒涜」だの「心が荒んでくる」だのどんだけ繊細で傷つきやすいハートなのでしょうか。

頼んで見て貰ってる訳じゃないのだから

そんなに精神的負担になるなら来なければいいのに。

他人の批判を批判と受け止めず「冒涜」「中傷」「暴言」としか受け止められない方は「被害者面」扱いされても仕方がないし、「コミュニケーション障害」だと思う人もいるでしょうね。

個人のブログだと自分の都合のいい意見だけ残して、批判的な意見は簡単に削除してしまう方が多いですが(荒れる原因になるので理解はできます)、みずきさんがそれをされないということの意味をお考え下さい。

これくらいの言い合いは単なる意見のぶつかり合いですし、ここで削除なんかしたらまた誰かさんが「言論統制だ!」なんて言うのが目に見えてますからこのままで良いでしょう。

それにしても「冒涜は一生忘れない!」このセリフ気に入ってしまいました。

私も何かあった際に是非使いたいと思います。

TOMOMI
2007-07-15 16:23:46
みづき!いつも頑張っていますね。

コメントを書かせてもらうのは久しぶりです。

でも、毎回しっかりと読んでいました。

病に対してもブログ(コメント欄)に対しても、逃げずに向き合うという姿勢は高校時代から変わらないみづきの「強さ」の現れですね。

私のブログは公式ブログのため、管轄している新聞社の配慮により、コメントを掲載できない形になっています。

(私と同じ職業の友人たちも同様で、数百単位でコメントが寄せられる公式ブログである以上仕方ないとは思っていますが・・・。)

様々な人達の考え方や意見が行き交うこのブログは、本当に有意義だと思います。

昔から行動力のあったみづきは、多くの人達と出会い、ふれあい、刺激しあってこれまでの人生を歩んできていますよね。

今は闘病中ということもあり、行動範囲を広げることは難しくても、こうしてブログを通してこれまでと同じように多種多様な考え方を持つ人達と出会い、意見を交わしあい、学べるというのは素晴らしいことです。

どんな状況にあってもみづきは「みづき」であり続け、進んでいくのですね。

さすがだなぁと。

これからも時折弱音は吐きながらも、逃げない「みづき」でいてくれれば嬉しく思います。

私もそんなみづきを見習うべく、邁進していきたいと思います。

yas
2007-07-15 17:13:44
http://blog.so-net.ne.jp/riseasia/

フィリピンで活動しているNGOの方のブログです。

この方、ゴミ山でゴミを拾っていた(資源のリサイクル)子供達で作った民族舞踊団の、日本、アメリカなどでの公演活動にも協力されている方です。

支援がどうあるべきか考えさせられます。

みづきさんも、ぜひ、お時間が有れば、お読みくださいませ。

>かんなさん

ボランティア、手話では「共に歩く人」って言うんですね。

素敵ですね。

そして、少し言葉がきつかったのがやはり残念です。

佐藤
2007-07-15 17:14:37
>ケンシロウさん

税理士さんがマザー・テレサに出会えて本当に良かったです。

そのお手伝いができたことを嬉しく思います。

ケンシロウさん、みづきさん、著者の五十嵐薫氏、マザー・テレサ、ここにいらっしゃる皆さん、そして、神様に心から感謝しています。

>しふりんさん

私にはお祈りすることしか出来ませんが、しふりんさんとご家族のお幸せをお祈りしています。

先に紹介した本を読み終わったあと、今は「マザー・テレサ愛を語る」(ジョルジュ・コビレ ジャン・バルビエ編著 日本教文社)を読んでいます。昭和57年(1982年)マザー存命中に初版が出ている古い本です。

その第3部には、マザーテレサが、神の愛の宣教者会の修道女達へ向けた手紙が載っています。P156に、あった1966年10月31日 ヴァルテールでの手紙が、私には印象的でした。マザーが56歳の時の手紙で、謙遜とは何か?が書かれています。修道女へ向けたもので、一般向けよりも厳しいですが、素晴らしい内容ですので、転載します。

 親愛なるみなさん

 神に必要なのは、私たちが平凡な存在であることであって、完全なものであることではありません。謙遜であるための方法は、

----自分のことをなるべく語らない。

----自分だけのことになるべくかかずらわない。

----つまらない好奇心をもたないようにする。

----他人の問題に手を出そうとしない。

----反論も機嫌よく受け止める。

----他人の過ちを大目に見る。

----身に覚えのない非難も甘受する。

----他人の願望に譲歩する。

----侮辱されたり、悪口を言われてもおこらない。

----無視されたり、忘れられたり、軽蔑されても抗議しない。

----けしかけられても、礼儀正しくおだやかな態度を守る。

----まわりの賞讃や好意を求めない。

----自尊心を楯にとることは絶対しない。

----議論において自分が正しくても言い張らない。

----いつも最も困難な道を選ぶ。

(転載終了)

カメロン
2007-07-15 17:48:34
ひゃー…

佐藤さん、すばらしい言葉に泣けます…

ひとつでも実行できたらすごいかも。

これらを実行した上で「平凡であれ」と言うマザー、

やっぱり最高にカッコいいです。

vino
2007-07-15 18:28:28
佐藤さん、素晴らしいです。

ありがとうございます。

ミナミ
2007-07-15 21:21:52
佐藤さん、ありがとうございました。

コメントを読み終えたとき、口の両端が持ち上がって笑顔になっている自分に気づきました。おかげさまで胸のつかえが取れ、晴れ晴れ致しました。

けい
2007-07-16 15:24:00
いつも興味深く(真剣な気持ちです)拝見させていただいております。

1M登られたというみづきさんに、もう少し考えていただけたらと思い、初めてコメントいたします。

>だから私はただお金をあげるのではなく、努力をしない人を排除するのと同時に、仕事を通じて・・・

みづきさん、「努力をしない人を排除する」ってどういうことでしょうか?

自力では生命の維持さえ難しいほど貧困している人たちは大勢います。彼らの気持ちを少しでも想像してみてください。

希望を失っている人に、少しのお金を与えたからって、そう簡単に絶望の淵から戻ってこられるわけではありません。彼らは初めから「努力しない人」だったわけではないのです。社会が彼らをそうさせたのです。

そういう人たちに努力すれば生活を変えられると信じさせること、本当に努力が実る社会に変えていくこと、そういう土台なしに「努力しないアンタにはもうお金はやらない」と排除してしまう。すごく怖いことだと感じませんか?

とても頭のいいみづきさんですから、もう少し他の人の気持ちを想像する力を持たれたら・・・と感じてなりません。

みづき
2007-07-16 17:18:58
私の言う「努力をしない人」とは、主にアメリカの道路などで物乞いをしている、その中でも特に「若者」です。彼らはもちろん外見的には健康に問題がなさそうに見えますし、本気で働こうと思ったらどんな仕事でも見つかると思うのです。求人広告が出ている以上、仕事がゼロということはありえないですよね。しかも中高年ならまだしも、若者なんですから、仕事を選ばなければなんだってあると思うんです。

アメリカではけっこうそういう人たちにも信号待ちしているときに車の窓をあけてお金をあげるところを目撃しますが、そうやってあげる人がけっこう多いため割と稼げると聞きますから驚きです。だから努力をしなくなってしまうんだと思うんですよね。

ですので、けいさんが心配されているようなことはないですから安心してください。確かに私はたまに非常識なことを言ったりするのでみなさんを不安がらせてしまうと思うのですが(^^)、基本的には常識ある人間だと思っていますので、自力では生命の維持さえ難しいほど貧困している人たちを排除するほどの非常識なことはしませんので、もう少し私を信じてもらえるとうれしいなと思います(^^)。

けい
2007-07-16 21:46:13
みづきさん、お返事をありがとうございました。

今日は体調はいかがですか? 無理をさせてしまっていたらゴメンなさい。

・・・みづきさんの文章は、理路整然としているようで、実はちょっと抜けているところもあるんですね。ご自分でも何度もそのような趣旨の発言をされていましたが、今度もそうだったのかしらと気づきました。

前後の文脈から(農業指導とか、TV番組でのアフリカの少年のこととか・・・)、そういう人々への支援と読んでいたので、「アメリカの若者」とは思いませんでした。お返事をいただけて、誤解が解けて良かったです。

ただ、「アメリカの若者」だろうが、例えば「日本のニート」だろうが、「排除」からは何も生まれません。排除からは新たな排除を生み、憎しみからは新たな憎しみを生むように、悪化させるばかりです。誰人も「誰かを排除する」権利や資格は持ってはいないし、持ってはいけないと思います。

みづきさん、「恩送り」って言葉をご存じですか?

「恩返し」ではなくて自分が受けた恩を、他の人に送っていくことです。感謝の気持ちをどんどんリレーしていくのです。

そこには「してあげる」という気持ちはありません。自分が受けたサポートへの感謝の気持ちを伝えていくだけのことです。私がしている寄付やボランティア、街角で困っている人に声をかけるなどの行為はほんのささいなものですが、自分自身がこうして様々なサポートを受けて存在していることへの感謝です。誰もひとりでは生きていない、誰しもが常に何らかのサポートを受けて生きていると思うのです。そのことに感謝ができれば、ボランティアに対する気持ちも変わるのではないでしょうか。

ながながと書いてスミマセン。

もうお返事はお気遣いなく。またいつも通り、みづきさんのブログを読みにきます。一日も早く、完全復活の宣言がされますように、お祈りいたします。

cocomero
2007-07-16 22:34:15
私の母も大腸がんの再発・遠隔転移で、抗ガン剤による延命しかないと言われています。抗ガン剤を受けるかどうか悩んでいた時から拝見させていただいてます。母は2度のfolfili投薬後、副作用と病院に拘束される時間の長さによるストレスを理由に投薬をやめ、近くの病院での緩和療法を選びました。今はまだ趣味の園芸や温泉巡りをしながら元気です。ですが余命告知以前のような爆笑が見られなくなり、苦痛と不安は当事者でなくてはわからないと思い知らされます。

がんになる人は自分を抑えて他を優先する責任感の強い人が多いように思います。(全く関係ありませんが私の回りではB型の伴侶に不満のあったA型さんが5人も)

みづきさんも今は治癒を一番に優先して気楽に、ある意味いいかげんにお過ごしください。治るまでは。

yas
2007-07-17 01:11:40
「排除する」ですが、私は、

働けるのに働かない、たかりのような若者はみづきさんの行いたい支援の「対象外」である、と解釈しました。

実際に、小規模、あるいは個人で貧困への支援活動をする場合、対象地域を絞らないと始まらないですし、地域を絞ったところで、必ずしもその地域の人すべてを支援出来るわけでもないですよね。

貧しくて明日にでも倒れてしまいそうな人や、虐げられて極度に貧しい人を優先すべきだとすれば、働ける人はまじめに働いてくれ、というのは、常識的ではあると思います。

けいさんの誤解が解ければいいなと思ってます。

たまにこういうこと有るんです。文章に気を付けてって、みづきさんには一年ぐらい前から言ってるんですけどね。。

2007-07-17 10:38:44
普通に考えてフィリピンやアフリカのスラムに住み過酷な労働を強いられている子供たちの話をしている時に先進国であるアメリカの健康で若いのに働かない人達の事を指しているとは思いませんよ。

なんか、言い訳に聞こえますね。

まあ、ご本人が誤解だというので誤解なのかもしれませんが。。

ただ、一つ言える事はみづきさんの文章(イコールみづきさんとは限りませんが)にはかなりのおごりがありますよ。

ご自分を過大評価しているのかな。

自分はただの一人の人間であるというような謙虚さは感じません。

私の周りの非常に知識や経験が豊富で歴史や文化への造詣が深く、かつ経済的にも不自由のない方達は決して自らを金持ちだとは言いません。

このブログを読んでいてみづきさんがご自分を経済的に余裕がある(金持ち)という表現を何度も使っていますが、その度にそんな事言わなければいいのにと思いました。

これは、私が経済的に苦しい状況の為に嫉妬をしているから、そう思うのではありませんよ。

passer
2007-07-18 00:28:42
実は私も常々そういう思いを抱いておりました。

経済的なことに限らず、みづきさんの文章からは謙虚さというものは読み取り難く思っております。

最近では、「パートを雇う」「仕事を与える」という表現に、悲しみとも不快ともつかないような複雑な思いをおぼえました。どなたかが「上から目線」と書かれていらっしゃいましたが、私も、みづきさんはそういうスタンスでとらえていらっしゃるのかと、残念に感じました。

ブログの文章で、みづきさんの真意が伝えきれず、みづきさんのお考えを誤解したまま(文面から理解することはほぼ不可能だったと存じますが)反論を書かれた方が、いわれのない非難を受け、こちらを立ち去るということが、今までもあったように記憶しております。本当に悲しく残念なことです。こちらのコメント欄で聞くに耐えない言葉がたびたび飛び交ってしまうのは、こちらもどなたかが指摘されていらっしゃいましたが、みづきさんのお書きになること(内容ではございません)にも要因があるかと存じます。

もし、みづきさんの書かれた文章が(こちらも内容を指しているわけではございません)謙虚で穏やかで温かでしたら、こちらを訪問されている方々のお気持ちも安らぎます。もし反論がある場合でも、平穏な気持ちであれば書き様も違ってくることでしょう。きっと、みづきさんに心理的な負担をかけないように心尽くしをするはずです。

こういったことを書きますと、「ならば来なければいい」と言い放つ方がいらっしゃいますが、こちらを訪れていらっしゃるのは、ガン患者の方やそのご家族・ご親戚・ご友人が大半を占めていると思われます。そういう方々は、少しでも情報を得たくて来ていらっしゃるのではないでしょうか。私もその一人ですので、こちらの存在は貴重です。「情報が欲しいなら、多少のことには目を瞑れ」というご反論もあるかと思いますが、それは違うような気がいたします。

念のために申し上げておきますが、私は決して文章の巧拙を申しているのではありません。稚拙でも人情味や愛情あふれる文章はたくさんございます。毒舌や乱暴な言葉を使い、独断と偏見でバッサリ斬りつけるような書き方をしていても、思わず微笑んでしまうような文章もございます。書くための時間が十分か否かも関係ございません。

かなり前のことかと存じますが、みづきさんがご両親やご友人に感謝の言葉を書かれていても、伝わってこないというようなことをコメントされた方がいらっしゃったように思います。この時も私は、その方と同じように感じておりました。そのコメントに、みづきさんは少なからずショックを受けられていらしたようでしたが、それももちろん文章力の問題ではございません。それをご理解いただきたく存じます。

自分の未熟さを棚に上げ、長々と書き連ねてしまいましたことを、どうぞご容赦ください。

多くの方々が、読みながら自然に微笑み、「みづきさん、がんばれ!」と心から応援できるような文章を期待いたしております。それを達成できた時、大きなハードルを超えられる、そのような気がいたしております。

yas
2007-07-18 02:12:31
「おおらかさ、謙虚さ、自分を等身大で見つめる、などを語っても、たぶん意味が無いと思いますよ。」と、昨年私は述べました。他の方に指摘された時にです。

「たぶん意味が無い」というのは、35年以上生きて来た人に、子供を諭すようにそれを話しても、はい分かりました、とすぐに聞き入れることはまずないだろうというのと、そこで話が終わってしまうだろう、という理由からです。

それならどうするか。

「あなたはそうなんだ、でも、私はこうなんだよ。」と言い続け,

分かってあげる、分かってもらう。違いを認める。そうしていくべきだろうと私は思っています。

おおらかさ、謙虚さなどを求めるなら、自ら気づくべきことだと理解しつつ、気長に求めて行こうという気持ちも必要だろうと思います。

謙虚さ、協調性を大切にするのが日本人。自信過剰気味、意見をぶつけ合うのが欧米人。みづきさんは、そんなものも、意識しているのかもしれませんね。

私はかつて、ブログの書き方についてみづきさんに話しました。批判を受けそうな事がらについてです。

「批判を承知で自分に正直に書くか。良く思わない人が居るから、遠回しに書くか。それとも書かないか。ですかね。」と。

私は2番目を願っていたのですが、みづきさんはずっと1番目でした。たぶん。

「謙虚に、周りの人の機嫌を損ねないよう気遣って」が、本来の自分では無い、あるいは、正直に書く事にならないとしたら、またはそう思い込んでいるとしたら、そういう内容にはならないということでしょうね。

みづき
2007-07-29 22:01:12
とっくにしふりんさんへコメントの返信をしたと思っていたのですが、偶然保存してあった文章を見つけ、まだしていないことに気がつきました。長文になるとセッション時間切れになることがあるので、別のところで下書きをしていたのですが、恐らく翌日とかになってしまったのでしょう。そのままアップせず忘れてしまっていたみたいです・・・(^^;)。ということで、遅ればせながらコメント載せておきます。

>しふりんさん

私のコメントが少しでもお役に立てたみたいでものすごくうれしいです。でもご自分のことを「小さな人間」とおっしゃっていますが、まったくそんなことはないですよ。失礼ながら公共からの支援を受けていらっしゃるということは、決して生活に余裕があるとは言えないと思います。そういう状況において、確かにしふりんさんよりはさらに厳しい状況にある人を支援されているとはいえ、お姉さんが目の前で大変な思いをしている身内より他人を援助していることに対してそのような感情を抱くことは当然だと思います。その感情が永遠に続くのであれば多少問題かもしれませんが(いや、続いたとしても問題ではなくやはり当然かもしれません。ただその場合は本人が苦しい思いをすると思いますので、その点で問題だと思います)、たまにそうやって思ってしまうだけですよね?それはまったく責められるようなものではないと思います。人間そんな聖人にはなれないですよ。

むしろしふりんさんのコメントを読んで、私のほうこそ小さな人間だと思ってしまいました。だってしふりんさんはそのような状況なのにTVを見て募金をされたんですもの。ものすごいことだと思います。私はTVを見てようやく心動かされ、最終的には一応有言実行するまでに至りましたが、あの場ですぐに実行することはできませんでした。しかも恐らくしふりんさんに比べれば、私のほうが金銭的には余裕であるにもかかわらずです。

しふりんさんによって気づかされましたが、金銭的な余裕よりも心の余裕が重要なんですね。そして心の余裕がある人のほうが幸せだということです。相対的な幸せではなく、絶対的な幸せです。ありがとうございました。

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