みづきの末期直腸がん(大腸がん)からの復活の記録
西洋医学に見放され、余命1年の宣告にも負けず、自己治癒力で勝負しています
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今できることをとにかく実行すればいい へのコメント
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コメント
みぽりん
2007-01-04 21:40:55
お気持ちが晴れてよかったです^^。
新しい年が始まりました。
旦那共々、ひっそりと応援しております。
今年もよろしゅう頼みます。
2007-01-04 23:15:51
カタブツ(失礼)かもしれないけれど、いつも律儀で生真面目で一生懸命なみづきさんのお書きになるものがとても好きで、毎日必ず読んでいます。いろんな方が書いていらっしゃるように、私にとってとても考えさせられるし、実に素晴らしいコメントもたくさん読ませてもらえるのもとっても魅力です。すべてみづきさんの人間力・場の力だと思います。
私は現在、家族の看病で長い時間病院にいます。以下に最近私の思ったことを書かせていただきます。
当たり前ですが、実にいろんな病気や怪我の患者さんがいます。先天性の患者さんも大勢います。
特に、自分自身の生活習慣などは無縁なはずの、幼い子どもさんの重い病気などには、厳しい宿命を引き受けられていることに、胸が詰まる思いです。
毎日忙しく仕事をして、楽しく仲間とお酒を飲んだりしている生活が当たり前と思っている人たちの中だけにいると、病気は(ましてや死に至る病は)珍しくて思いがけないもの、降ってわいた「不幸」であるかのように思われがちですが、山ほどの病人の中にいると、病気自体が不幸とはとても思えなくなります。
幸不幸は病状の深刻さによるというのでもなく…。病気になると、その人がどんなふうに生きてきたか、どんな人に囲まれているか、病気になった今どのような物心両面のサポートがあるか、またご本人の信念・思いはどうか、などが一気に現れますよね。いろんな患者さんを見ていると、うんとつらいけどお幸せだなとか、病状は軽いけどお気持ちは悲しいのかな、とか、いろいろ感じます。
とても思うのは、本当に人間は1人では生きていないな、ということです。1人の人間が生きていくためには(病気を持っているいないにかかわらず)家族や友人や…というだけでなく、通りすがりの人を含め、直接的間接的に何万人もの人がかかわったり影響を与えたりしていると思います。自然など人智を超えたところと影響しあっている可能性もあるし…。だから、1人の人間に起こることはその人のかかわるたくさんの人間+人智を超えたものに影響を及ぼすことになり、おめでたい形で現れることや病気のようにつらい形で現れることも含め、みんなチャンスなんだろうなと思います。
さくっとわかりやすく書けなくてすみません。みづきさんはもうなぜ病気になったかなど考える必要がなくなったとおっしゃっているのに、うるさいですが…^^;
本当にわからないですよね! 何十億もの人間がいる中で1人の人に起こることの理由なんて。私はきっと理由はあるだろうと思っていますが、生きているうちにはわからないだろう、とも思っています。死んでもすぐにはわからないかもしれないな、と。
だから、結局みづきさんがお書きになっていらっしゃることにまったく同感! 今わかっていること、できることをやるだけ、ですよね。
あつこ
2007-01-04 23:35:19
遅ればせながら、あけましておめでとう!今年もブログ愛読させていただきますね。お互い素晴らしい年にしましょう。
あかり
2007-01-05 03:37:36
昨日、今日の記事とコメントを拝見して
みづきさんが、やっと(ゴメンナサイ)自認してくれた事に
心から嬉しく思っています。
私が最初にこのブログを拝見してから
ずっと、何故自分が?を探求していらっしゃるんだろうな・・・っと感じていました。
例えば、産んだ子供が障害を持っていたとします。
自閉症や多動症等
母親が病気と認めないでいると
その子供は苦痛を感じながら健常児の扱いを受けます。そして親にあせりが出て決して良い状況を作ることが出来ません。
病気の事を直ぐに受け入れ、しかるべき治療や訓練を受ければ、視野や世界は広がります。
好転できる可能性が高くなると言うことです。
そして共に楽しく生きてゆく
焦り無く穏やかな気持ちで、是非 病気に向かい
【どう生きるか】を大事に思って欲しいと思います。
そして認められた時から、本当の意味での治療が始まるのではないでしょうか。
笑える・・・と言う事の心地良さを少しでもたくさん^^
こんな私でも明日があるとは限りません
美味しいワインやチーズを毎日でも一口
良いじゃありませんか?
そこには素敵な笑顔が浮かびます。
それが痛み止めより効果があるのかもしれません
みづきさん自身は、ずっと知っていたと思うのですが何より文にして拝見できたこと
本当に嬉しいです。
2007-01-05 03:49:43
「お叱り・批判のコメント」は求めるのは難しいかもしれませんね。
今回のようにみづきさんがハッキリ書いてくだされば大丈夫とは思いますが、ここで批判めいたことを書くと、ほかの読者の方に反論されることがしばしばありますので。
yas
2007-01-05 06:38:27
私の認識を書かせて頂きますね。
「若くしてガンに罹ったことを喜ぶべきである」という言葉ですが、私には言えないですね。
病気を喜べとは言えませんよ。普通そうでしょう。
精神状態を安定させる目的だとしても、もしくは、絶望の淵に居る人の、心を救うためににしても、私なら使いません。
例えて書きますと、私は胃潰瘍になりましたが、胃潰瘍になって良かったと感じたことはありません。全快した今ても、胃潰瘍にならなかった方が良かったとも思っています。胃潰瘍になったことで得たものも有りますが、それはそれとして、胃潰瘍自体には感謝しません。病気はそれほど人に有益では無いはずですし、出来れば罹りたく無いものですよね。
メッセンジャーですが、これも例えます。胃潰瘍になって、無理してはいけないと思うようにはなりました。胃潰瘍という「病気」が教えてくれたと言えばそうですが、私がメッセンジャーと呼ぶとしたら、胃自体、体自体です。病気は死を運んで来ることもあるわけですから、有り難みが有るようなメッセンジャーという呼び方は、私はできません。
念のためですが、自然療法を否定するものではないことはご理解頂けてますよね?
上記の、2つの言葉の使い方がなんか変だと感じているだけです。
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新しい年が始まりました。
旦那共々、ひっそりと応援しております。
今年もよろしゅう頼みます。
私は現在、家族の看病で長い時間病院にいます。以下に最近私の思ったことを書かせていただきます。
当たり前ですが、実にいろんな病気や怪我の患者さんがいます。先天性の患者さんも大勢います。
特に、自分自身の生活習慣などは無縁なはずの、幼い子どもさんの重い病気などには、厳しい宿命を引き受けられていることに、胸が詰まる思いです。
毎日忙しく仕事をして、楽しく仲間とお酒を飲んだりしている生活が当たり前と思っている人たちの中だけにいると、病気は(ましてや死に至る病は)珍しくて思いがけないもの、降ってわいた「不幸」であるかのように思われがちですが、山ほどの病人の中にいると、病気自体が不幸とはとても思えなくなります。
幸不幸は病状の深刻さによるというのでもなく…。病気になると、その人がどんなふうに生きてきたか、どんな人に囲まれているか、病気になった今どのような物心両面のサポートがあるか、またご本人の信念・思いはどうか、などが一気に現れますよね。いろんな患者さんを見ていると、うんとつらいけどお幸せだなとか、病状は軽いけどお気持ちは悲しいのかな、とか、いろいろ感じます。
とても思うのは、本当に人間は1人では生きていないな、ということです。1人の人間が生きていくためには(病気を持っているいないにかかわらず)家族や友人や…というだけでなく、通りすがりの人を含め、直接的間接的に何万人もの人がかかわったり影響を与えたりしていると思います。自然など人智を超えたところと影響しあっている可能性もあるし…。だから、1人の人間に起こることはその人のかかわるたくさんの人間+人智を超えたものに影響を及ぼすことになり、おめでたい形で現れることや病気のようにつらい形で現れることも含め、みんなチャンスなんだろうなと思います。
さくっとわかりやすく書けなくてすみません。みづきさんはもうなぜ病気になったかなど考える必要がなくなったとおっしゃっているのに、うるさいですが…^^;
本当にわからないですよね! 何十億もの人間がいる中で1人の人に起こることの理由なんて。私はきっと理由はあるだろうと思っていますが、生きているうちにはわからないだろう、とも思っています。死んでもすぐにはわからないかもしれないな、と。
だから、結局みづきさんがお書きになっていらっしゃることにまったく同感! 今わかっていること、できることをやるだけ、ですよね。
みづきさんが、やっと(ゴメンナサイ)自認してくれた事に
心から嬉しく思っています。
私が最初にこのブログを拝見してから
ずっと、何故自分が?を探求していらっしゃるんだろうな・・・っと感じていました。
例えば、産んだ子供が障害を持っていたとします。
自閉症や多動症等
母親が病気と認めないでいると
その子供は苦痛を感じながら健常児の扱いを受けます。そして親にあせりが出て決して良い状況を作ることが出来ません。
病気の事を直ぐに受け入れ、しかるべき治療や訓練を受ければ、視野や世界は広がります。
好転できる可能性が高くなると言うことです。
そして共に楽しく生きてゆく
焦り無く穏やかな気持ちで、是非 病気に向かい
【どう生きるか】を大事に思って欲しいと思います。
そして認められた時から、本当の意味での治療が始まるのではないでしょうか。
笑える・・・と言う事の心地良さを少しでもたくさん^^
こんな私でも明日があるとは限りません
美味しいワインやチーズを毎日でも一口
良いじゃありませんか?
そこには素敵な笑顔が浮かびます。
それが痛み止めより効果があるのかもしれません
みづきさん自身は、ずっと知っていたと思うのですが何より文にして拝見できたこと
本当に嬉しいです。
今回のようにみづきさんがハッキリ書いてくだされば大丈夫とは思いますが、ここで批判めいたことを書くと、ほかの読者の方に反論されることがしばしばありますので。
「若くしてガンに罹ったことを喜ぶべきである」という言葉ですが、私には言えないですね。
病気を喜べとは言えませんよ。普通そうでしょう。
精神状態を安定させる目的だとしても、もしくは、絶望の淵に居る人の、心を救うためににしても、私なら使いません。
例えて書きますと、私は胃潰瘍になりましたが、胃潰瘍になって良かったと感じたことはありません。全快した今ても、胃潰瘍にならなかった方が良かったとも思っています。胃潰瘍になったことで得たものも有りますが、それはそれとして、胃潰瘍自体には感謝しません。病気はそれほど人に有益では無いはずですし、出来れば罹りたく無いものですよね。
メッセンジャーですが、これも例えます。胃潰瘍になって、無理してはいけないと思うようにはなりました。胃潰瘍という「病気」が教えてくれたと言えばそうですが、私がメッセンジャーと呼ぶとしたら、胃自体、体自体です。病気は死を運んで来ることもあるわけですから、有り難みが有るようなメッセンジャーという呼び方は、私はできません。
念のためですが、自然療法を否定するものではないことはご理解頂けてますよね?
上記の、2つの言葉の使い方がなんか変だと感じているだけです。